クマちゃんからの便り

カモメ





エクセルシオールホテル前に
やっと参加シネマのポスターが並びはじめた。
映画祭のメイン会場になるCASINO前の舞台や、
いろいろなブースは遅々としてまだ未完成である。

ヴェネチアのチケットセンターに行っても

「切符は明日か明後日になるけど、
 リドのCASINO前ではもう売っているはずだ」

と言う。
肝心のチケットブースがまだ組み上がっていないのだ。
最後ぎりぎりになって何事もなかったように
帳尻を合わせるイタリア方式なのだろう。

高い美術梱包輸送の業者なぞつかえないオレとしては、
自分の手下(てか)の輸出業者が作った梱包、
マネージャーの書類いっさいに落ち度がなく、
CINZIA嬢の口添えで商工会議所の所長が

「文化をなんとする」

との抗議で、税関役人があっさりとか、
やっとなのか手違いを認めたのが救いだ。
コンテナーが税関を出る時間は分からないが
月曜日<二十五日>は確実になった。

月曜日早朝にムラノ島に渡り、
ファビオの船で待機して
税関からの連絡が入り次第
トロンケット港まで向かい、
梱包箱を積み込んでリド島のまで運び、
そこからトラックに積み設置場所で開梱する。
作業開始の時間はまったくよめないが、
夜になってもマッシモ、ファビオ、アレッシーの
<運河の三兄弟>が手伝うから大丈夫と心強い。

後はオレのアングラダマシイが火を噴いて、
オープニングの朝になったら忽然と巨大な
<まだ未熟なピリオド>を出現させてみよう。

強い日差しの海岸を<運河の三兄弟>と歩いていると、
両袖は風のようにしなやかに振ったワイシャツの男が、
変形のワルツの奇妙なステップ踏んで
なんだか愉しそうに近づいてきた。
長い海岸に彼の陽気なダンスは
唯一目立っていた。

「楽しそうだ。良いことあったんだろうな」

遅れたボルトアップ作業に見通しがついて
オレも一緒に踊り出したかった。
間近でダンスは激しくなり
眼を剥き歪めた口からかすれたイタリア語が漏れ、
強力に何かを訴えているように見えた。
<三兄弟>は気の毒そうに噴き出した。

「なんとかしてやれ!」

長男のマッシモが真顔になり濁声で叫ぶと、
アレッシーは突然手鈎の柄をダンサーの股間にあてがい
何度かえぐるようにしたら、
風がきてワイシャツの腕がアレッシーの頸に巻き付いた。
ファビオが解いてやると、
ダンサーは礼を言って
海岸を向こうに何事もなかったように
すたすた歩き去った。

もうステップは踏んでいない彼を見送りながら転げ回る
<三兄弟>は、途切れ途切れに

「キンタマを掻く手を置き忘れてきたらしい」

と教えてくれた。

遠くになったワイシャツの袖が、
飛び交うカモメと一緒になった。



『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。

クマさんへの激励や感想などを、
メールの表題に「クマさんへ」と書いて
postman@1101.comに送ろう。

2003-08-29-FRI

KUMA
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