クマちゃんからの便り

週刊ポスト9月26日発売





海に出るでもなくひなびた船宿に素泊っていた。

港の外れにあった小さな造船所が気になり、
炎天下にさした宿の大コウモリ傘で作った日陰に潜んで、
露天の工場で動き回り三次曲面に曲げた
太い木材を組み合わせ
海を往く竜骨の構造を造っていく、
船大工のシゴトをただ眺めていた。

去年浮遊したシシリー島で目撃した造船所では、
古代ギリシャの思わせる顔のオトコ等が
力ずくの大ハンマーで楔を打ち
枕木ほどの木材を美しく曲げ
滑らかな曲面を造っていた。
彼の地でまだまだ主流のムカシながらの木造船を、
毎日見に行くオレに
切り取ったばかりの古くなった大きな舳先を

「これ持っていけよ」

と言った船大工たち。
浮遊のすがらで仕方なく断ったが、
失ったモノは忘れてしまうオレに今でも、
海の生き物のようなあの舳先は惜しかったモノである。
デジタルなぞ電話のついた文房具箱程度に
思っているオレは、
筋肉の大シゴトに吸い寄せられてしまう質のようだ。

ニッポンで新造される遊漁船のほとんどは、
急増するオンナの釣り客も獲得するために
トイレやキャビンを充実させ、
FRPを貼り付けたテラテラした玩具のように
小洒落た造りになっている。
漁船もFRP全盛だ。

職漁師の合間にときどきオレのような釣り人を乗せて
ヒラメ釣りに出てくれる大原港の、
海の底まで熟知している船長の<梅田丸>は、
いまでも親父さんの代から使っている
古びたままの木造である。
ときどきニュースで見る怪しい工作船以外は
まずお目にかかれない代物で、
小さなトイレのアサガオが
後部甲板に剥き出しになっているだけの漁船だ。
木目が浮いた船縁に載せたペニスで
太平洋に小便を放ち、
エンジンの振動や海の軋みが伝わってくる
肌触りはいいものだ。
竜骨の三次曲面にゲージツが甦っていた。

連休になったから迎えに行けると
連れから連絡が入った。

「グラビア出てるよ」

彼が<週刊ポスト>誌を差し出した。

「バカタレが、今さらそんな写真でやるか」

「違うさ、ヴェネチアのことが写真付きだよ。
 タケシさんの後ろに張り付いたページ」

あの暑いヴェネチアでお会い出来なかったが、
<La Ruce Circorante>を
訪ねてくれた伊集院静氏が書いたものだった。
マ、美術関係がオレを紹介するわけはないが、
酒場ですれ違うばかりの呑み友達の小説家が、
わざわざ足を運んで観てくれたことが嬉しいじゃないか。
確かに世界を受賞した
北野巨匠と背中合わせなのは名誉なことだった。
カナダでまだ取材旅行中という伊集院氏のホテルに、
カレンダーの切れっ端に書いた礼のコトバを
船宿のFAXから送った。

そろそろ帰るか…。



『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。

クマさんへの激励や感想などを、
メールの表題に「クマさんへ」と書いて
postman@1101.comに送ろう。

2003-09-18-THU

KUMA
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