クマちゃんからの便り

ゴム合羽の季節





本格的に硝子を削りゲージツを再開すると、
山は急に冷え込んできた。

コンプレッサーの高圧エアーで
ダイヤモンドディスクを高速回転させ研磨する。
摩擦熱を抑えるために水も盛大に噴射させるのだが
暑けりゃ、水を浴びながらの作業も心地イイ。
しかしこう寒ぶいとイカン。
ウッカリすれば風邪までひきこんでしまいそうだ。
ゴム合羽が必要な季節になったのだ。

半年ほど開かずの間だった物置のドアを引くと、
嗅覚を喪失してこの世に現象したオレの
スキンヘッド前頭部に、明らかな微熱を感じた。
これと同じ熱を浴びたのは、
三〇年ほど前のアングラ時代が最後だった。
まだ状況劇場のポスターを描いたり
舞台美術をやっていた頃で、
役者の部屋で安酒を呑んでいたのは三人。
酔ってはいたが空腹の明け方、
すでに加熱の達人だったオレが何かを作ることになり
台所を探していた。
なにやら入っていそうな鍋の蓋を取ると、
眼から額にかけて微熱が襲ってきたのだった。

安っぽいグレーの絨毯みたいな
鍋の表面がさざ波がたち、
波頭にフワリと小さな煙まで舞いあがったが、
もちろんオレには臭いは感じなかった。
さざ波の膜を剥がすと沼のような闇褐色のぬめった
直径十五センチほどの物体が潜んでいた。
水に戻したまま二、三倍に膨らんだ干し椎茸らしい。
肥えた椎茸を取りだしよく水洗いして、
千切りにしてみるとイイ弾力があった。
別の鍋にいれ<ハッカク>を落とし
醤油と少々の砂糖で煮付けた。他の連中は
臭いを嗅ぎながら数切れ喰ったが、止めてしまった。
臭いを嗅ぐ必要のないオレは
煮物に疑いを持つこともなく
少しのえぐみのある腐敗に向かう豊饒の頂点を、
お茶で流し込みながらメシといっしょに喰った。
臭いですでに頭蓋をやられてしまった二人は
急性中毒で病院に駈け込んで数日寝込んだようだった。
オレは何事もなく舞台美術の制作にむかったのだった。

物置から引っ張り出した合羽は
やっぱり黴にやられていた。
これを着ての作業はまだ雪があった
今年のはじめだったが、
数度のヨーロッパ遠征で
これを着ることはなかったのだ。
研磨作業の前に水とタワシで
合羽の微生物退治になった。
オレの研磨作業がはじまるのは毎年寒くなる季節だ。
サイバーKILNで以前に創った
KUMABLUEのカタマリを、
十二kgの重いビシャンで削りだした。
山奥にも台風が近づいていた。
それにしても冷たい雨のなか合羽を着て、
水を飛ばし始めた。
やっぱし頭蓋のなかを
全身で再生していく無言の作業は、
ひがな続くのだが心地イイ。
KUMABLUEが現れてきた。

ゴム合羽を裏返しにして
FACTORY内に干していると、
雨のなかSさんに紹介されてきたという
軽トラの爺さんがやってきた。
鞄から、退職して暇にまかせて
自分で作ったという尺八を取り出して組み立てた。
ラフな手作りだが音の調律は出来ている。
難しいメリ音の吹き方だけを教えてもらった。
夜、久しぶりに<嘘鈴>を吹く。
<ツ>音をメルるだけで
今まで吹いていた<嘘鈴>と違っていた。
息の音が身体に染みこんでいく。

『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。

クマさんへの激励や感想などを、
メールの表題に「クマさんへ」と書いて
postman@1101.comに送ろう。

2003-09-26-FRI

KUMA
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