クマちゃんからの便り |
毳立った生き物 合羽に身をかためてKUMABLUEの研磨三昧。 甲斐嶽はうっすら雪をまとい、 また今年もすっかりクソ寒い季節だ。 ゲージツにうつつを抜かしているうち 陽が嶽に隠れると辺りはたちまち暗くなり、 まだ四時少し過ぎたばかりだというのに 気温はぐんと冷え込んできて、 稲刈りの終わった殺風景な景色はひっそりとする。 トタン貼りのFACTORYの部屋は、 一晩中ガスストーブを焚き放しにしておくのだが、 ほとんど寒い。 深夜にあまり寒ぶくなると、 机の後ろの天井から毛布を吊し空間を小さくして、 眠りたくなるまで空想に浸るのである。 十二月パリに持ち込むゲージツの第一プランを、 なんど計算してみても二トンを越えてしまう。 今回は今までと違ってもっと軽くしなくてはならない。 これはイカン!! 飛行機で運べる重量・大きさに考え直しである。 イタリア遠征のこの一年で学習したのは、 小さく梱包して巨きくビルトアップすることだ。 自分に課す厄介な条件を、 頭蓋内を巡らせては綿密に制作するジカンは面白い。 研磨作業をしていた昼間、 六五〇kgの硝子のカタマリが届いた。 OHARAの社長からの大きな贈り物である。 この硬いカタマリの制作開始するのは、 もっと冷え込んでくる十一月になってからだろう。 少し暖まってきた室に横たわっていると、 何日か前にアズサで見掛けた踊る毛糸玉のことが 頭蓋を過ぎった。 前日六本木で呑みすぎたせいか、 疎らなアズサに乗ってうつらうつらしていた。 斜め前の窓際に座り 自分の前のシートに置いたセーターを解き、 玉に巻き取っているオンナの白い指と手首が 眼の端にあった。 顔はシートの背に隠れて見えなかったが、 セーターだけがずんずんシートに熔けていくようだった。 いまどきあまり見掛けない辛気くさい手作業を、 ぼんやりと眺めていたが、 頭の芯に残っていた酔いが また湧いてきて眠ったようだった。 眼を覚ますとトンネル地帯だった。 赤や青や柄が入って タマシイが抜けたヒトの抜け殻みたいな 古いセーターは、半分ほどになって、 相変わらず巻き取られ柄の色変わりのところにくると それぞれを別々の玉にしている。 毛糸をさばく機敏な動きのあまりにも手際よく 器用な手つきの解体作業を見ているだけで、 顔は見えなくても充分だった。 掌の毛糸玉は大きくなっていた。 ところが毳立った毛糸の輪郭と指先に、 ときどき山間から射し込む陽が当たるたび、 生き物のように一体になって 弾んでみえていた若い指は、 ゴツゴツした節くれが目立って七十過ぎになっていた。 セーターが頸までもう間もなくだった。 読みかけの本に眼を落とすとまた眠った。 「次ですよ」 馴染みの車掌がオレの肩を叩いて起こしてくれた時、 すでに斜め前のセーター解きの姿はなかった。 床に落ちていた本を拾いながら、 斜め前のシート下に、 千切れた血管のような赤や青のおびただしい毛糸屑が、 電車の振動に右往左往していたのだった。 また明日から研磨三昧だ。 天井から引きずり降ろした毛布を身体に巻いて 本格的に眠った。 『蔓草のコクピット』 (つるくさのこくぴっと) 篠原勝之著 文芸春秋刊 定価 本体1619円+税 ISBN4-16-320130-0 クマさんの書き下ろし小説集です。 表題作「蔓草のコクピット」ほか 「セントー的ヨクジョー絵画」 「トタンの又三郎」など8編収録。 カバー絵は、クマさん画の 状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。 |
2003-10-15-WED
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