クマちゃんからの便り |
一難去ってまた一難 今回の作業は三時すぎに終了。 近くのうどん屋で<ぶっかけ>とオデンを喰う。 「高知の沖の島に行こうかい。 道具は全部そろっているから」 「何が釣れるんかい」 「ヒラマサでもタマメでも。 一昨日は六十五センチの イシダイがあがったらしい」 岡山の作業服<鳶>の社長が、 オレが高松での作業を聞きつけて迎えに来た。 「久しぶりだね」車から顔を出したのは、 何年か前に釣りを一緒した二人だ。 二人ともオレと同じ歳だが数ヶ月若い。 すでに定年を迎えて晴耕雨読の日々を 過ごしているのだという。 ゲージツ家は<生>が終わる瞬間まで 定年はないのだからそういうわけにはいかないが、 このさい断る理由もない。 「弱ったなぁ…」まごまごしていると オレの着替えを車に手早く積んでしまった。 「定年を迎えても遊ぶことは 相変わらずすばしっこいわい、チキショウめ」 オレは助手席に自ら拉致されていた。 社長と、定年爺ぃと、ゲージツ家を乗せた車は、 高知の海に向かって走り出していた。 ヒラマサ…イシダイ…なんでもイイ。 連日の削岩機と楔を打ち込むハンマーの振動で 少し痛んでいた節々に、 フッキングのあのバイブレーションが甦る。 「タマメを釣るからフランスパンを五本持ってきた」 「なにっ!」 「七kgオーバーのタマメをフランスパンで掛けるんだ」 意表をつく釣法にそそられた。 それでも、アンテプリマとのパリでの コラボレーション・プラン、 巨大な襞をもつジョーゼットのヒト型に、 数万個の取り付けた釦が増殖するグラデーションが、 頭蓋を占めていた。 エンジンの振動でオレは現世から墜ちていた。 「やっぱり航空貨物で最初のプランで運ぶと、 高くなってしまう」 マネージャーからの携帯で眼を覚ます。 オレの頭蓋では すでに次のプランに切り替えていたのだが、 航空貨物料金の目処がついたのは有り難い。 国境を越えていく、 果てしなく軽量で巨大なオブジェが膨らんでいた。 夢うつつの間に三時間は経っていて、 完全に暗くなった夜のなかを走っていた。 明日朝のフェリーで沖の島の磯に渡るらしい。 宿毛港のそばにあるビジネスホテル。 四人相部屋の畳の間。 イメージメモをしているオレの後ろで 「やっぱり畳はイイねぇ。日本人でよかったぁ」 定年爺ィ二人は、テーブルに並んで ビールを酌み交わしている。 ビールを飲まないし、 さっきまで石と格闘していたオレには、 畳だって地べただってイイことだわい。 なんとも牧歌的な景色である。 間もなく「明日は早いからもう寝よっと。お先に」 布団に潜った三人の鼾の競演がすぐに始まった。 ま、釣りになれば独りのジカンだ。もうすぐ朝だ。 『蔓草のコクピット』 (つるくさのこくぴっと) 篠原勝之著 文芸春秋刊 定価 本体1619円+税 ISBN4-16-320130-0 クマさんの書き下ろし小説集です。 表題作「蔓草のコクピット」ほか 「セントー的ヨクジョー絵画」 「トタンの又三郎」など8編収録。 カバー絵は、クマさん画の 状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。 |
2003-10-22-WED
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