クマちゃんからの便り |
高速回転 朝九時、650kgの硝子のカタマリを 甲府市内の墓石の樋口石材へ運ぶ。 クレーンでセットしてスイッチを入れると、 胃袋を吸い出すような音が高まり、 <死者の石の家>を造っている巨大な丸鋸が 水を飛ばしながら回転をはじめる。 鉄や硝子を加工するには、 回転する機械を駆使するのだが、 オレはどうもこの回転音に慣れなくて スイッチを入れ作業をはじめる瞬間、 いつも緊張するのである。 水力や火力のエネルギーをタービンで変換して 文明の動力源としてきた現代動力の文明は、 モーターにしろエンジンにしろ、 ジェットタービン、原子力の発電にしても 高速回転の歴史なのだろうが、 まだ縄文式頭蓋のオレは回転するモノに 畏怖を感じてしまうのである。 それでも650kgのヒカリのカタマリに <使者の回転刃>が当たり シャープで滑らかなゲージツの切断面が、 裸電球の元に現れてくると、 いつの間にか恐怖心を越えて夢中のオレがある。 自分の工場のようにクレーンをあやつり、 水浸しになりながら方向を変えては回転刃を圧し 面を繋げていく。 切断機を自動に任せ、一服しに外に出る。 マブシイほど明るい秋晴れである。 朝は気が付かなかったが、 トラックの荷台には<報徳感謝>と書かれてあった。 今時あまり眼にしない漢字である。 ホウトクカンシャか…。タバコは美味い。 「この辺りは身延山にちかいので 日蓮宗が多い土地柄なんです。 漢字ばかりで右翼の街宣車と間違えられるんですが、 本当は日蓮さんの有り難いオコトバなんです」 一緒に日溜まりで一服していたヒトシは、 石工の修行をして実家の石屋を継いでいるのだが、 極真空手三段の生真面目な石工だ。 オレは若い石工にハンドポリシャーで磨く回転数と 水の関係を教わっていた。 「今度やってみるわい」 「いえいえこちらこそ」 ヒトシは少し生真面目な顔で、 吸っていたタバコの火種を消したフィルターを ポケットに入れた。 現場仕事での喫煙マナーだ。 オレも同じようにハイライトを消して ポケットに入れた。 また薄暗い水浸しで奈落の底のような工場に戻ると、 乳白色のカタマリの新しい切断面に、 不思議なカオスと秩序が現れて、 美しくヒカリを放っていた。 買い物に村に下りることもない 山奥のゲージツ作業が長くなり、 毎日保存食の<素麺>だけのゲージツ三昧である。 テレビでメニューが映しだされていた刑務所の方が 食生活では上だが、ちっとも羨ましくない。 『蔓草のコクピット』 (つるくさのこくぴっと) 篠原勝之著 文芸春秋刊 定価 本体1619円+税 ISBN4-16-320130-0 クマさんの書き下ろし小説集です。 表題作「蔓草のコクピット」ほか 「セントー的ヨクジョー絵画」 「トタンの又三郎」など8編収録。 カバー絵は、クマさん画の 状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。 |
2003-11-02-SUN
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