クマちゃんからの便り

船宿書斎


「なんてこった! 十二月だというのに
 房総沖まで台風が押し寄せてくるなんて」

海にも出られずにもう船宿で二日目も過ぎた。
時化て荒れ狂う海。防波堤を越えてくる
五メートルの高い波飛沫をふくんだ雨が、
激しく宿の窓に吹きつけている。

竿師SAOTOME氏が特別に作ってくれた
二メートルのヒラメ用の短竿が一本と、
タックルを入れた小さなバッグ、
鈎を探すついでに寄った本屋で買った
現代美術についての二冊のみ。
タイトルに惹かれて買ってしまった批評家たちの
スリリングな文章の一冊目は、
昨夜のうちに一気に読んでしまったし、
湿った座布団を枕に目が覚めれば
読んでいる二冊目も、
台風が去る頃には読み終わるだろう。
世界のムラカミになった村上隆の
<スーパーフラット>についての評論も面白く読んだ。





釣り客が持ち込んで読み終わり、
廊下の一画に積んである膨大なエロ週刊誌の山が、
インスタレーションのように
崩れていた。ゴシップとエロ情報が溢れている
古い廊下がなかなかのアートをしていた。
釣り客には無縁だろうが、オレも読み終わった二冊を
廊下の山に忍ばせて帰るだろう。

深沢七郎親方のラブミー農場で
作男の修行をしていた三〇年前、
出版社から彼のところに毎日送りつけてくる新刊本を、
味噌の豆やメシを炊く竈で燃すのがオレの役目だった。

「つまらない本ほどよく燃えるだ。
 ほれ、読みたくもないのに、
 自分でペラペラと『読んでくれ読んでくれ』って
 卑しくページをめくるだよ」

親方は後ろでオレに教えてくれた。
燃えさかる竈の中でオレが放り込んだ本の表紙が、
ひとりでに開きめくれては炭化していった。

いつかまたオレが釣りに来たとき、
まだ本が残っていればまた読んでみたいページもあるが、
きっと捨てた本は忘れているだろう。

大きな白い鳥が窓を目掛けて飛んできた。
ぶち破る勢いで窓ガラスを掠めたのは、
漁港のマークが入った発泡スチロールの箱だった。
赤や黄色のビニールが飛び交っている。
揺れてキャビンのようになっている出窓に
バッグの中身を広げ、港を見おろしながら
丁寧に仕掛けを作る。

南下しながら浦ごとにお祭り騒ぎの大漁をもたらす
<浦まつり>のイワシが
そろそろ鹿島沖にくる時期なのだ。
そのイワシを喰いながら旅してくる
五キロから一〇キロぐらいの巨大ヒラメも下りてくるのだ。

釦付けや刺繍をすることが好きなオレは、
小さな鈎にラインを巻くことなぞお手のものだが、
ウッカリできない。大きなヒラメが掛かって
ラインが解けてしまっては、
取り返しがつかないのである。
歯は強力なペンチだし、指先の爪はピンセットであり
ラジオペンチにして強力な仕掛けを作っていた。

このところ、トランクに入る小さな工作に
明け暮れしていたが、
荒れて海に出られない読書三昧の船宿でもやっぱし、
糸と鈎の工作ジカンだ。

ケイタイに見慣れない番号通知。

「凄いよ、昨日国営テレビで
 ヴェネチアビレンナーレの番組が放映されたんだよ」

ヴェネチアのTSUCHYからだ。
「そうか、今頃かい。オレは膨大な釦を付け
 作業が終わったところで、
 季節外れの台風が去るのを待っているんだ。
 でもどんな番組だった」

商業主義ばかりが目にあまるようになった
大規模な国際展の第五〇回を迎えた
今年のビレンナーレも、
特に観るべきモノはほとんど無かったと、
フィリップ・ダベリオがナビゲートした
ドキュメント番組だったという。

「さんざんメイン会場をルポして最後の締めで
 『唯一、観るべきモノは会場の外にいくつかあった。
  そしてもう一度みたいモノといえば、
  サンフランチェスコ教会に、
  自費でのりこんできたKUMAの
  チルコランテだった』と
 バーンッとオブジェと
 KUMAさんが紹介されたんだよ。凄いです」

「パオロたちや運河のファビオ兄弟、
 TSUCHY、お前も喜んでいるのか」

「モチロンです」

「そりゃあ良かったなぁ。ヴィデオ送ってくれよ」

「肝心な処を訳してすぐに送ります」

台風はまた一段と強くなってきた。
明日には弱まって北上するらしいが
波はまだ治まらないらしい。
また小さなノートのページが増えるだろう。

クマさんへの激励や感想などを、
メールの表題に「クマさんへ」と書いて
postman@1101.comに送ろう。

2003-12-03-WED

KUMA
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