クマちゃんからの便り

廃墟ジカン


海の底まで荒らした季節外れの台風が北に去り、
やっと船が出たが根まで荒れて、どうにもならない。

あれこれやってみたのだが、
まったく伝わってこない生物の生活反応に

「どうなっちまったんだ」

ボヤキが口をついて出てしまった。
朝六時から手持ちにした竿先に集中してオレ自身が、
まるで海に漂う棒杭になっていて、
頭蓋内には、ヒラメの消息ばかりではなく、
<釦の飛行>の仕上げ工作や、
高まってきたペインティングのこと、
新しい試みの彫刻のコトなぞが渦巻いていた。
同時にとりとめのない方向を走り巡る頭蓋回路で、
退屈なジカンではない。

なんとか釣らせようと
ヒラメのポイントを走り回っていた船長は

「相当に根が荒れているね、潮も動かないしなぁ…」

すまなそうに言う。

「明日は底も修まっているだろう。
 もう一日狙ってみるか」

昼過ぎに港に戻り、エッジが少し溶け出した
朝受け取った氷塊がひとつだけの漂う
棒杭のクーラーボックスを肩に、
船宿に戻る途中の路地に面して、
木造の小さな廃墟があった。

居間だった一間と台所だったらしい部分と
たたきの一軒家だ。
窓も玄関もなく内と外との皮膜の朽ち具合で、
暮らしを捨てた主に放棄されたまま、
十年以上の廃墟ジカンを放っている物質の<儚さ>に、
立ち止まりしばらく眼を奪われていた。
剥がれた天井から侵略をはじめた
青々とした螺旋の先が、
もう間もなくこの廃墟を
ツル草が占領してしまうのだろう。

足元に落ちていた
ヨレヨレのボール紙の小箱に入っていた、
まだ虹色の輝きを失っていない貝釦を、
クーラーボックスに素早く仕舞い、
また頭蓋回路を巡らせていた。



フランス人キュレーターの
ドミニク・ステラが企画して、
ミラノのMUDIMAで開催した
はじめてのオレの個展は去年の一〇月だった。
今まで創った鉄や硝子、土のオブジェを船で運んだから、
梱包箱の燻蒸やら、コンテナー輸送、関税だとか、
コレクター、評論家との関わりなど
なかなか厄介なコトも経験した。

そして今年、
二十トンちかい鉄のオブジェを創って送り出し、
ヴェネチアLIDO島と
六月に始まったFRANCHESCO教会での個展も
好評のうちに、つい十一月初めに終了した。
ヤレヤレと思っていたら、
年末に忙しなくパリへ向かう。
オレと一緒に飛行機に乗り込む
トランク一個に入ってしまう今度の布のオブジェは、
二〇kg弱だから、
何かとゼニがかかったヴェネチアと違って
少しは安心である。

出発も一週間たらずに迫った。
しかし、トランクの寸法に会わせて
コンパクトに作ったパーツを、
現地で再構築しやすいように最後の工作する手間は、
重量が軽いからといっても変わらないものだ。
PARISからのメールでは、
オレに興味を持ったキュレーターや
評論家などが待っているとのことだ。

「ありゃりゃ、そんな処に入ってどうしたのさ」

船の掃除を済ませた船長だった。

「イイねぇ、こんな空間」

「まるで主のようだね」

「あっそうだ、オレ、
 ゲージツの山に戻ることにしたんだ、ゴメンよ。
 ヒラメはまたにするよ」



クマさんへの激励や感想などを、
メールの表題に「クマさんへ」と書いて
postman@1101.comに送ろう。

2003-12-12-FRI

KUMA
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