クマちゃんからの便り

また走り出すかい

今まで泊まったこともない、
ただ眠るには惜しい高級な部屋に戻ったものの、
やることもなく<腕立て伏せ>と多少の<ストレッチ>。
これでは山奥のFACTORYでの
掘っ建て小屋部屋と同じではないか。

ヒトの生息方法は変わらない。
唯一持ち込んだ現代美術の解説書なぞのも、
チマラナくて塵カゴに捨てしまった。

もうこの類の活字なぞは手にしないだろう。



シャンゼリゼ通りの本屋で掌に載る小さな本を買った。
1899年から2001年までの
ヒトの現場証拠写真を満載した
<SIECLE>というこの本は、
重さといい大きさといい煉瓦ブロックほどの体裁である。
これでヒトを殴れば気絶させるコトくらいは
出来るだろうと思いながら、
二十世紀の瞬間缶詰を眺めていた。

オレのヴェネチア個展行きの
オブジェ・コンテナー出港が、
アヤブイ大儀のまま突入したイラク戦争で
危ぶまれたのが今年の三月だった。

孤児院のための大規模なチャリティに招待参加する
<釦の飛行>を、手製爆弾のように詰め込み
工作したトランク一個を、
PARISに持ち込んだ十二月年末である。

髭にまみれてなお見覚え顔が何度も大写しになっていた。
砂漠のアリ地獄のような穴に潜んでいたフセインを
捕縛したというニュースにまだ戦は終わらない。
占領と人道支援、消費とスローライフとやらが渦巻く
ヒト等のジカンに、<進化論>なぞ当てはまらない。

朝、トランクを会場に運ぶと、
各ファッションメーカーのオブジェでごった返す宮殿前、
オレのトランクはコンベアーで
二階展示室まで昇っていった。





山梨FACTORYの冷え込むなか
独りで何度も創ってきた<釦の飛行>は
一時間もかからずに天井まで建ち昇り、
冬のやわらかいヒカリのなかで
カラフルな糸の繊毛まで輝かせていた。
撮影した写真をプレス用にEメールで
エルマーノへ送信したオレは、
モンテパルマスへむかった。

ジェラード氏がメモしてくれた
<La ROTONDE>。
モジリアニー、デュフィー、もちろんレスタニなど、
むかしからゲージツ家や評論家たちがたむろする
有名なレストランは、混んでいた。
ウロウロするニッポン人の闖入者に、
背の高い老フランス人が近づいて

「ジェラードと待ち合わせだろう」

と言い、店の者に伝えてくれた。
予約してあったらしい一番奥まった席に通された。
アヤ嬢が現れ、

「やぁ昨日はどうも。落ち着いて話は出来るし、
 店全体を見渡せるしこの席は一番なんだ」

入ってくたジェラード氏が帽子をとりながら言う。
さっきのフランス人もゆっくり席に着いた。

「彼は絵描きだよ」

無口な彼を紹介した。



「魚にするかい、肉か」

「オレは魚がイイなぁ」。

ワインがきた。チヌのような魚を蒸した皿だ。
確かに上品なソースと絡める白身はなかなかだが、
ショーユが数滴あれば言うことなしだ。

「KUMA、シガーはどうだ」

「たまにやるよ」

マフラーと帽子を着けなおしたジェラード氏は、
通りに出て二本持ち帰ってきた。
さっそく吸う。
魚のフランス料理にはぴったりの煙だった。

佐藤達氏が立派な作品集を持ってきてくれ、
オレも<IRONCIRCUS>を渡した。
真顔に戻ったジェラード氏は、
おそらくスペインになるだろうけど、
来年自分がキュレートする国際彫刻展に
是非参加してもらうと言うじゃないか。

「もちろん!」

「ところでKUMAはギャラリーで
 小さなオブジェを売る気はないのか、
 ギャラリーなら俺が紹介出来るけど」

「ただ今まで売る方法を知らなかっただけだよ、
 マネージャーに是非連絡してくれ」

イタリア風の抱擁をして店を出た。
冬の日差しが
少しまわったワインのスキンヘッドに心地イイ。
またオレは往けるところまで走りだすのだろう。

夜、エルマーノが迎えに来て、
イタリアから到着した荻野氏が待っている<衣川>。
丁寧に調理した魚を喰いながら、
今年も要所要所サポートしていただいたき、
久しぶりの再会にショーチューを呑む。
一つ年長の彼のお宅にお邪魔しては、
取り留めのない話にダウンするまで
一本勝負で呑むのだが、外で呑むのははじめてだった。

「KUMAちゃんもいよいよ
 ヨーロッパに拠点が必要になってきたねぇ」。

ホテルの部屋に戻ってオレはベッドに倒れ込んだ。

クマさんへの激励や感想などを、
メールの表題に「クマさんへ」と書いて
postman@1101.comに送ろう。

2003-12-21-SUN
KUMA
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