クマちゃんからの便り

師走にヒラメを殺す


もう二〇〇四年になってしまったが、
去年クリスマス直前PARISの朝は、
小雨が 降っていた。

好評だった<釦の飛行>を残し、
過ぎ去っていく濡れた色合いの
アンニュイな景色を眺めながら、
ちょっと早めにタクシーで空港へ向かっていた。
出会った人々とのジカンや出来事を
リフレインし微睡むうち、
なんだか生温い気温のNARITAに着いた。
ここはすでにジャパンだ。
以前からの約束で山梨へ向かう。

病院の建設現場に駆けつけると、
ブルーシートを張り巡らせた会場は
すでにうっすらとした煙が立ちこめていた。

鳶職、鉄筋工、電気工事、クレーン屋、
ダンプ運転手などそれぞれの作業服たちが、
ドラム缶を輪切りにした炉に
手際よく火をおこしている。
総勢百三十人の現場納会だ。

日焼けした無骨な掌にか細くみえる割り箸を器用に操り、
鹿肉や牛を灼いては紙皿に配っていく。

こんな労働現場を転々としていた二十数年前、
スクラップの山にむかい溶接バーナーを振りまわし
ゲージツをはじめた。
間もなくこの国の産業も文化も
<軽薄短小>に向かっていた。
鉄の廃棄物を隅に押しやったスクラップ場は、
石油原料の軽いプラスティック類の山が高くなっていた。
オレはこの国の危うい経済の方向さえ見たものだ。

コップ酒をすすめてくれる節くれた掌が現れたり、
出身地方の訛りが見え隠れする、
眼に滲みる煙は懐かしい。
オレは今でもこんな現場に溶けこむことに
ジカンは掛からない。

ツマラナイ小芝居をする面なぞではなく、
男の掌にこそ履歴がもっとも現れるものだ。
深い傷痕や硬い皮膚の皺の谷間に、
哀しさや不幸せを越えてきたメモリーが詰まっている。

「来年オレが二十トンの石とヒカリの
 オブジェを持ち込んでくる時は、
 力を貸してくれ、
 それまで油断無く元気に過ごすように。
 また会おう! メリークリスマス…」

乾杯のこのひと言のためだった。

男等のエン会が始まった。
オレは会場片隅に広げた手拭い五枚に、
三色のペンキでアクション。
ビンゴの景品として彼等へのプレゼントである。
現場の所長は普段はビシッと強面だが、
呑むほどに金造に似てくる彼を、
オレは金ちゃんと呼んでいる。

数人の幹部と<石和>の割烹旅館のお座敷へ移動。
通された豪勢な部屋のお膳には
エン会の準備が出来ていた。
開け放った襖の向こうが、
二十畳はある部屋に銀色のシートが敷きつめてあり、
浴衣が数枚並べられているのが奇妙だった。

「今年の海外遠征おめでとうございます。
 PARISから戻ってきたパワーを
 浴衣にお裾分けしていただこうと思って…。
 来年のご活躍も期待してます」

所長の金ちゃんが生真面目に言う。
納会の酒が程よく脳に回っていたオレは
すぐにコトの次第が読めた。
今年最後のゲージツを割烹旅館のお座敷で
締めくくるのもイイだろう。

壁にペンキが飛び散らぬよう気をつかいながら、
次第にアクションは激しくなっていた。
ペンキがシートに降る音の隙間に、
微かだが湿ったオンナの声が訊こえていた。

隣との襖からこちらを観ている美人の若女将が
オレの眼の隅に映る。
オレのアクションの変わり目に

「アア…」

「すてき…」

合いの手のように漏らしているのだった。
しかし、調子に乗ってはイケナイ。
次のアクションでお仕舞いだ。
止め時が肝心なのだ。
最後のペンキが中空で弧を描いた。









『しまった!』

ペンキの連続した赤い斑点が
貼りたての立派そうな襖の上を走ったのだ。

「嗚呼…」

今度はオレが呟いた。
平静を装う金ちゃんが

「大丈夫、わたしが張り替えを負担しますから」

と言いながらも慌てていた。

「そうか、それなら、
 この襖はもうどうやってもイイんだな」

「どうぞ、どうぞ」

オレは襖を外し、思う存分アクションした。

「すてき…」

「アア…」

若女将は浴衣の時より妖艶な声になっていた。

「いっそこの部屋の全部アクションして欲しいわ」

と言う。終わった襖を元に戻して眺めた。
我ながらイイ出来だった。

「このアクションはプレゼントだよ。
 今日はこれくらいで勘弁してやる」

サインした。
いつの間にか若女将とオレの立場が逆転していた。

金ちゃん等とのエン会がはじまった。
翌日から海に向かうオレは制御していた。
普段は一滴も口にしない酒が、
止め処もなくなっていた。
そしてボロボロになった躯を、
カーペンのワンボックスに積み込んで
千葉の海に向かった。

大工のカーペン君がこのところの釣行の連れだ。
外川、大原、布良の船宿を転々としながら、
大晦日まで今年を締めくくるジカンを
釣り三昧で過ごすのである。

しかし、どの海も潮は動かない、水温は高いなど、
釣行には状態が芳しくなかった。
渋い海からやっと釣り上げたヒラメのエラと、
尻ヒレの前に出刃を刺し込むと、
おびただしい血を流して絶命する。
五枚におろした美しい白身を
利尻昆布で包んで昆布締めにして、
美味く喰うために重要な作業だ。
これを怠れば血が回り生臭いヒラメになってしまうのだ。

ヴェネチア・ビレンナーレを酷評し、
唯一、自費参加のオレと作品が好評に扱われていた
アート番組が放映されたビデオを
PARISのホテルで観たのだが、
三〇日にイタリアの国営放送<PA13>のアート番組で、
コンテンポラリー・アートの
そうそうたるメンバーに混じって、
オレのオブジェも紹介されたとの連絡があった。

波音を聴く釣り宿の布団で、
スペインでの国際彫刻シンポデュームへの
漠然としたイメージする。

大晦日、布良の海に鯛を釣るが、
赤い大きな星カサゴが二匹だけ。
どうやら風邪をひいちまったようだ。

2004-01-05-MON

 

KUMA
戻る