クマちゃんからの便り

浮遊エン会巡礼

明治二十七年、爺さんは十七で高知から
屯田兵になって北海道に渡った。

十七歳になった時、北海の街を出たオレは
海峡を渡り内地に着いた。
八年前にはじめて高知の中村に来て
<うつろう>を創った。

一緒にシゴトをした高知の土木民から釣りを教わり、
海のつかの間に漂う遊びを知ったのはその頃だった。
以来、年に二、三度高知に来ては、
長いつき合いになった高知民の連れ等と
海に遊ぶようになった。

南国の春のような高知空港に着くなり、
高知民のひとり北村社長の出迎えだった。
イタリア遠征サポートの表敬に<技研製作所>を訪問。
狭い都市部における道路工法
<ミラクル・アンダー>の開発中の土木機械と
工法のパイオニアたちは、もう始動していた。
ゲージツ家は今少し浮遊することにして、赤岡の北村邸へ。

何度も訪れた門を飾っている、
いまではすっかり姿を消した
左、右がそれぞれ男飾りと女飾りになっている
大きな門松が、まだ新年の気配だ。

ヒトがヒトをよび、酒盃が飛び交い、肴が集まり、
激しくなっていくいつもの高知エン会。
翌日、高知市内でまたも呑み、
札所巡りのようなエン会をすり抜けると、
H氏、E氏と連れだって
やっとグレ釣りに柏島に向かった。

途中の春野町に寄り、二年前に、
四トンの風倒木や間伐材で創ったキューブを燃やし、
待機した消防車で炭化をコントロールしながら仕上げた
<森の記憶>に会った。



イイ風化の具合を確認し、
柏島まであと一時間、四万十川に差しかかり突然
<うつろう>を見たくなった。
八年前のオレに会う気になったのだ。

『もうすぐ日没。間に合えばイイが…』。

潮風が鉄のところどころに、
土に戻るうつろうジカンを刻んでいた。

先端があの時と変わらず確実に真北を指している
オブジェの手前で、幼女が助走をつけて
走り出すところだった。

オレが初めて灼いた色硝子の板も健在で、
弱いヒカリを透過していた。
宙の北を目指して駆け上り、
三八度の勾配の三分の一あたりで
彼女のトルクがゼロになったところで、
オブジェに抱きついた。
<うつろう>を創った時は
まだこの世に来ていなかった彼女は、
知るはずもないオレに屈託のない笑顔をくれた。



駆け下りまた助走をつけては、
宙に駆け昇ることをくり返すが、
いつも同じ処でトルクが尽きた。
車の中から心配そうに見つめている両親の目などは
すでに眼中にないらしく、疲れを知らない子供は、
夕暮れの宙への突入を何度も試みる。
そろそろ柏島に向けて再出発しようとした時、
彼女はついに<うつろう>の今までより五センチ高い処で、
バランスを取りながらすっくと立った。
蠱惑的に大人っぽくうつろった顔が振り向いた。



ミラノ、ヴェネチア、リド島、PARISと
行商のように目まぐるしく
ヨーロッパ遠征をしてきたゲージツ家も、
ゼニとジカンのロスが大きい
オブジェの海路輸送ではなく、
海外へ躯ひとつを運んでは制作する手だてを
そろそろ考えなきゃなぁ…。

柏島の渡船<大黒屋>に電話。

「今日は泊まり客でいっぱいだけど、
 ガレージのうえなら素泊まりでどうぞ」。

スーパーマーケットで仕入れた一升瓶と肴の数々で
すっかりイイ気分。
朝、出港時間に遅れグレ釣りは諦めた。

そろそろ浮遊ジカンに区切りをつけてゲージツに戻るか。

クマさんへの激励や感想などを、
メールの表題に「クマさんへ」と書いて
postman@1101.comに送ろう。

2004-01-16-FRI

KUMA
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