クマちゃんからの便り

寒波に襲われたゲージツ家

石切場での作業は朝八時からだ。

圧搾空気の振動で感覚が麻痺してくる手を休める。

「むかし白蝋病ってのがあったよなぁ」

「血行不良で真っ白くなった
 年配の石工さんたちの手を見たことがあります」

ヨシが生真面目に言う。

「ま、昨日今日でハクロウになるわけではないですけど」

石を割るイメージを描き込んだ線に、
オレはまた矢(クサビ)の位置を印し
削岩機を打ち込んでいく。



小雪が舞いだした今日の牟礼は
四〇年ぶりの寒波だという。
なんとか今日までに削岩作業を終えてしまおうと、
腰や背筋に痛みをだましながら、
コツはだんだん覚えてきたから作業は早くなっている。

作業中はハツリ孔が曲がらないように
気を遣っているだけで、
ヒマな頭蓋内では
どうしてこんな厄介な方法を
選んでしまうのかと後悔したり、
自分の頭蓋から発生したゲージツ・ジカンだから
仕方がないと納得したり。

風がいちだんと冷くなり
石粉に雪が混じってきた五時までひたすら続け、
どうにか全体の形が見えてきて
予定通り削岩は終わりそうだ。
悪寒と吐き気が襲ってきて、
脇の遍路道を独り黙々と通り過ぎて往く
白装束を見送っていると、
白いボルボが滑り込んできた。
この親柱の山梨までの運搬と
設置作業までお願いする
地元のマツヤマ運送のシゲちゃんだ。

「こんな冷やっこいのに、シゴトなぞしてホッコか?
 石切場もみんなとっくに休みにして、町は静かだぞ」

身も蓋もないことを言う。

「初ちゃん誘って牡蛎焼きでも喰いにイッかい」

初ちゃんは消防団の分団長だ。

「いいなぁ」

暖かい処に行きたかった。

志度湾に面した漁師町にある牡蛎小屋だ。
漁網や魚箱が積んである寒い土間の
真ん中に下がった裸電球の下、
大きな鉄板が鎮座して周りに木のベンチがあるだけの
殺風景に入っていくと、

「ようお出でなさんした。どこっから来たんな」

手拭いを被った長靴の小さな婆さんが一人出てきた。

言葉のわりにはせっかちで、
牡蛎箱からスコップですくい取って
鉄板の上にザラザラと殻のまま放り出す。
物凄い灰かぐらが舞い上がり、
ありゃりゃ…と思っているうち治まる。
火ばさみと軍手の片方が人数分置いてあり、
婆さんの姿はすでになかった。






殺風景な小屋は暖まっていた。
火ばさみで頃合いのイイ牡蛎を取り、
軍手をはめた左手で抑えて殻をこじ開けて、
ハフハフ言いながら喰うのだ。
殻は足元のガンガンに放り、
すぐに次の牡蛎に黙々と取りかかるのである。
ワイルドなこの喰い方は、美味い。
オレの足元のガンガンがたちまちいっぱいになり、
そろそろ飽きた頃、

「ゴメンゴメン、遅うなった」

初ちゃんが一升瓶とビニール袋を下げて入ってきた。

「高知の川で釣ったんけん。食んまい」

ビニール袋には尺ちかい見事なアマゴが
一〇匹入っていた。

「橙を搾っただけの汁や。純アルカリじゃ」

八百屋をやっている初ちゃんは、
市場で大量に仕入れては搾って
町内の人々に、無料で配る人格者だ。

オレはそのあたりから、寒気と吐き気がはじまった。
今日の寒気はオレの体温とエネルギーを
奪いやがったようだ。
<橙の汁>でも呑んで早めに眠るか。

クマさんへの激励や感想などを、
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2004-01-27-TUE

KUMA
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