クマちゃんからの便り

石に奔る

バッテリーも低温下では放電してしまうが、
牟礼に着くなり襲ってきた今回の寒波は、
地下から来た<石>に立ち
向かうオレの体力さえ奪いやがった。



やっぱし石は手強い。
鉄のように火のチカラを利用したりではなく、
削岩機を穿ち鉄のクサビを打ち込み、
ゲンノウでハツり、
とにかく手持ちの筋肉のチカラがほとんどである。
寒波の風が吹きすさぶ野外で作業を続けるのは、
ちょっと無茶だったのかもしれない。
エネルギーの消費が激しかったのだ。

山梨の冷寒地においては、マムシの粉を舐め、
一晩じゅう腹の芯から唸り、
ジタバタしながら独り悪寒を放つという
山岳民間療法にちかい方法で立ち直ってきた。
ヨシの家で布団にくるまり一晩うなされ
寒気悪寒を追いやった朝は、
旧正月の元旦でまだ外は風が吹いていた。

西山石材の婆さんが
餡餅入り白味噌仕立ての雑煮を作ってくれた。
大福は大好きだが、それが味噌との雑煮とは、
耳には恐ろしげな組み合わせで高松独特のものらしい。
新年のやり直りで喰ってみると、
これはこれでなかなか美味いもので
おかわりまでしてしまった。

そこに弘海寺の安寿さんが護摩焚きの木札を持ってきた。
これも何かの縁だと、一枚二〇〇円也に商売繁盛、
厄よけ、健康なぞ
オフクロや身近な名前を手当たり次第に書き込み、
ついでにGARAも書いておく。
一年前に小さな庵治石で創ってやった
GARAの墓石も梱包したままだが、
少しヨタヨタ歩きながら
まだダンボールの家で生きることを続けている。
ことしで二十四歳の年男になったのだ。

オレより少し若そうな安寿さんが

「KUMAさんの護摩は珍しいから記念に飾っておくかな」

お茶目を言う。

「おいおい、お願いだから念入りに焚いてくれよ」

ゼニを払う病みあがりは真剣だった。

「はいはい、一生懸命祈願しますよ」

身体中にカイロを貼ってシゴト再開。
冷たい風さえ心地イイし、
掌の先まで頭蓋が拡がったように
シゴトがはかどっていく。
ここでもオレの民間療法が効いてきて
調子が戻ってきたのだ。

「ヨシ、ちょっと散歩に出るか。
 シゴトばかりじゃ飽きがくる」

「今、車回しますから」

坂が多い牟礼の町は、墓石を運ぶ軽トラが足になる。

「やす婆が入院してるんだろう」

以前来た時、泊めて貰いメシの世話までしてくれた
八十五になる石屋のやす婆は、
少し惚けた連れ合いの世話で腰を痛めたらしい。

「元気そうやな。儲かるようになったか」

コルセットをしていたがやす婆の口癖は
相変わらず元気だった。

「ゲージツは続いているんだけどなぁ…儲からんわい」

「あんたは喰うことには困らん!」

「オレが喰う分にはいいのだが、
 ゲージツがたいそうなゼニを喰っちまうんだ」

「楽しくやっているなら充分や。
 ゲージツに飽きたらわたしが向こうから
 連れに来てやるよ」

「まだオレにはやることが残っているし、
 アンタもまだこっちに居るんじゃねぇか」

「そうだったな」

声もなく笑った。あっちもこっちもないか。

彼女の枕元にあった
花籠に刺さっている名札を引き抜いて、
ヨシに写真を撮ってもらった。

「わざわざ迎えに来なくてイイからな。
 オレは自分で歩いて往くから」

耳元に言うとやす婆が頷いた。

「暖かくなるころまた来るから」

「それまでは生きてる」

微笑んだ。

また石場に戻る途中、
病院のロビーに創る一五トンのオブジェの石が
眼に飛び込んできた。
温かい菓子のような肌合いの石だ。
オレは空を見上げながら、
頭蓋にたちまち高さ五メートルはある
巨大な石のオブジェを描いていた。
上空でヒカリのカタマリが空を湛えていた。





少し暖かくなったらまた来ることにするか。

クマさんへの激励や感想などを、
メールの表題に「クマさんへ」と書いて
postman@1101.comに送ろう。

2004-01-29-THU

KUMA
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