クマちゃんからの便り

100トンのヒカリ

牟礼では親柱<SKYLINES>の制作をしている。

山奥のFACTORYに蟄居しての
ゲージツ・ジカンから一変して、
朝から石やヒカリの硬度と遣り取りし夜になれば、
オレの手になっていた衆らと呑んだり、
叫んだりしている。

何処へいってもヒト騒がせな
オレの制作方法に集まってくるのは、
若い衆といってもオレより年若いというだけで
確かな技術を身につけた石工や鉄工者や鳶職、
二〇トン・トレーラーのドライバーたちで、
小洒落た野郎はひとりだっていない。

「オレはいったん東京に戻る」
「エライことで」
「ゲージツと遊ぶにはタフでなきゃイカンのだ。
 ヒカリを取りに行ってくるわい、
 また来るまで、各自ゼニ稼ぎに戻っていなさい」

と言い残して、相模原のオハラ・クリスタルに向かう。
<SKYLINES>にヒカリを蓄える
カタマリがほしくなったのだ。
羽部社長とナメタガレイの煮付けで芋ジョーチュー。

「ヒトは毎日死んでは朝新しく生きかえるんだ」

五合ばかりのほろ酔いで八王子から電車に飛び乗って、
時速一〇〇キロの鉄路の音にウトウトしながら、
陽のヒカリをはかなく変化させる一〇〇トンのヒカリが、
月の明かりさえ照射する
<未だ見ぬ景色>を夢想していた。
ライトアップなぞという小賢しい
誘蛾灯的な商業施設の光ではない。

明大前で生き返り渋谷経由で六本木。
馴染みの酒場に寄ると、アルコールの駄目な連中が
ペリエを飲んでいた。

オレはまたもショーチュー。
いつしか午前三時、
<空海>の話で盛り上がったところでお開き。

翌夕、岡山から来た作業服<TOBI>の社長と
浅草の昔ながらの小さな鰻屋。
予約時間に早すぎ、
人通りが途絶えた暗い通りで一服、
時間調整。
狭い店内の柱は相当のジカンを吸い込んで、
どの一本にも完全な垂直はなさそうだが、
特盛りうな重が出来上がるまで、
味噌まめを当て鰻酒を呑む
オレの酔いを心地良くしていた。
オレがデザインした<KUMA' HANDS>の
丈夫な作業服を作ってもらうことになった。
オレのゲージツに関わる若い衆が着るのだ。

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2004-02-01-SUN

KUMA
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