クマちゃんからの便り

日月海水を光らす

一〇トンあまりのオブジェを設置することになった
山梨中央病院の現場を見に行く。
実際に現場に立つと、
三階吹き抜けになった空間は想像以上にデッカイ。
足場にあがって上からの目線で空間をインプットし、
地上に降りて床の補強部分を線引きした。

FACTORY の日溜まりで
自分の掌をボンヤリと見つめていた。
石川啄木のようにではなく、
いつも携帯している万年筆型のルーペを取り出し、
タクラマカン砂漠のように幾重に拡がる指紋のうねりや、
肉眼では認識できない毛穴や、
皮がめくれた小さな傷口がつくる掌の中の
三〇倍に拡大した風景にジカンを忘れるのである。

畝づたいに発汗の瞬間が
みるみる脹らんでいくのを見つけるが、
あまりの倍率なので呼吸の小さな動きでも
すぐにポイントを失ってしまった。
六〇年を越えてしまった自分の生命線を
ゆっくりかすれる辺りまで辿ると、
石切場でのシゴトの粉末が谷間に詰まっていた。
この時でさえオレの細胞は生まれ替わり
死に替わっている筈だ…。

親柱の制作も仕上げに入る。
その前に海に漂う気になっていた。
夜中、カーペンの車で千葉の船宿に向かう。
午前午後の連続で二泊三日の釣行である。
西風が強くて浪高し。
釣果はヒラメ二枚。
最終日午前四時半、満月のうねる海に出港。
六時ごろ東の方角の海と空を押し開くように
朝焼けがはじまる。
一五〇メートル底のはじめての沖メバル狙いだ。
うねりで安定しない躯で、
一五〇号の錘で落とす仕掛けが
一〇〇メートル辺りで停まってしまい、
揚がってくるのは鯖ばかり。
大好物の味噌煮やしめ鯖にするつもりで、
丁寧に外し生きたままナイフで頸を落とし腑を出す。
血まみれの掌が冷たくオレの周りは血の海になった。
夜が明けたころ底に到達したラインに
沖メバルの当たりが伝わってきた。
ゆっくり一メートルほど巻き上げ
待っていると次の当たり、
また一メートル巻き当たりを待つ。
竿がしなる。
四〇センチオーバーの立派なメバルである。

ヒカリが荒れる浪頭の飛沫を照らしはじめた。
《日月海水を光らす》、宇宙との実感である。
鯖の血や汐が乾いてブチになった
オレのかじかんだ掌が、
老人の手のようになっていた。
こんな手を何処かで見た覚えがあった。

家を出てから三十五年間、
北の国へ戻ることがなかったオレが、
オフクロからの知らせに駆けつけた病院で見た、
すでに植物となって危篤状態だった親父の手だった。
あんなに嫌だった親父を、
こんな形で唐突に思い出す血の繋がりを
微笑ましく想えた。

もう七回忌も過ぎ遠い出来事になった記憶の底から
湧いてきたオレの暴走頭蓋には、
中央病院のオブジェのアイデアが沸々と湧いていた。
現れてくるアイデアのデッサンなぞしないオレは、
後で思い出せないアイデアは
過ぎ去ったモノとして諦めることにしている。

『ヨシッ、これはいけるぞ』

今度の確信を東の虚空に眼でデッサンをしていた。
暴走頭蓋は巨大な石や硝子の制作方法、
運搬、コストまで算出していた。

メバルのコツを掴んでしまうと飽きていたが、
それでも竿を握る掌が勝手にメバルを捉えて、
終わってみれば三十数尾獲って竿頭になっていた。
中空に上がった陽がさかんに春の温度を送っていた。

クマさんへの激励や感想などを、
メールの表題に「クマさんへ」と書いて
postman@1101.comに送ろう。

2004-02-11-WED

KUMA
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