クマちゃんからの便り

傾ぶきながら…


四〇年ぶりに襲ってきたという台風並みの寒波のなか、
頬被りしただけで石粉にまみれて
愚直に石を削岩し続けた。

山の中に架ける長い橋の親柱
<SKYLINES>の制作は、
オレのエネルギーが日に日に
五険山に飛び去っていくのを体感していた。

最終日は、削岩機にあずけた躯で
振動をコントロールしながらほとんど仕上った。
行火を入れて貰った布団にくるまり、
節々の痛みに堪えながらも震えていた。



七つの海で溺れてもなお未だに泳げないオレだが、
水に同化し解放されるあの瞬間のように、
苦痛と安堵が混ざった
<この世>ではない気分に似たジカンもつかの間、
夢なぞも観ずにいつか眠ってしまったつもりだった。

「誰もいないじゃないか!」

声を見上げるとYOSHIがオレを覗き込んでいた。

「ずーっと唸るように誰かと喋っていて、
 気持ち悪いから見てきてよ」

嫁さんに促されYOSHIが様子を見に来たようだった。
まだ痛みは去っていなかったが、
何だか寝小便を見つけられたような決まり悪さだった。

「大丈夫だ、騒がせてスマンだった」

また布団に潜り込んだものの、
削岩機のバイブレーションが残っていた頭蓋内の隙間で、
水をたたえた弁当箱に漂う豆腐のように揺れる脳みそは、
大理石で創った一メートルほどの球体を
自在に回転させていた。

それからは死んだように静かになったらしいが、
翌朝、赤ん坊さえ不気味がり怯えさせ
いつまでも暗い部屋から聴こえていた
オレの大きな唸り声のことを聞かされた。
マ、夢さえみない睡眠は、
この世を留守にしていただけのコトだろう。

作業場の二階に上がり曖昧な蛍光灯の明かりで、
カルタほどの大きさに切りそろえ
片面を研磨した石を眺めていた。
それは牟礼で採れる墓用のコマメ石ではなく、
外国産の石見本である。
びっしりと詰まっていた箱も最後にちかくなって、
頭蓋内の球体がまた回転しだした。
血が染み込んだ土の色した大理石だった。

「これだ!YOSHI!」

「これは少し高いです」

「構うもんか、探していたのはこの色だったんだ、
 これで球体を削り出すぞ」

皮膚の奧にひそむ色をしていた。

三月になって<SKYLINES>を設置し終わったら、
すぐに県立中央病院の広いロビーに建てる
オブジェに取りかかる。

<誰ピカ>収録終わり、新宿の地下に降りていくと
NADJAの夫婦が
不景気な客待ち顔でボンヤリしていた。
芋ジョーチュー<佐藤>を呑む。

「三年ぶりですね」

ディレクターの原口が降りてきた。
彼は、三年前オレがバリ島へ行き石を削って
<KING OF PLANTS>を創った時、
NHK―BSの番組を制作した
ドキュメント・ディレクターである。
あの地蔵さんは、世話になった信心深いバリ人の
コーディネーターが家に持ち帰り、
毎朝花と供物を供えて三日目、
今までなかなか出来なかった子供が
授かったコトを知らされたというのだ。

「イイ話じゃないか」

「それだけではないんです。その話が評判になり、
 近所のヒトが毎朝花を供えて
 お参りに来るようになったと
 彼からメールがありました」

彼は口髭をもみながら嬉しそうに言う。
熱帯の分厚い植物力に充たされたあの時も、
一晩中トッケイや虫の声を聴き
眠らない集中で創ったものだった。
偶然、飲み屋で思いがけないコトバに出会って
一本空けた。
電飾ネオンが波打ち、アスファルトが揺れていた。

虫が這い出て
ハナミズキの白い花が咲き出す四月になれば、
オレもまた一〇トンの石やヒカリを削りだし、
オブジェを造り始めるのだろう。

クマさんへの激励や感想などを、
メールの表題に「クマさんへ」と書いて
postman@1101.comに送ろう。

2004-03-03-WED
KUMA
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