クマちゃんからの便り |
仏教オペラ6時間 三月十三日、午後七時。 立錐の余地もなく何かを待ち望む 大勢のヒトで埋まっていた。 反り返った屋根のシルエットを夜空に見上げていた。 右下の石廊下の辺りが明るくなった。 大きな松明に火が点されて揺らぎ、 燃えさかり 大きな火の玉となった大松明が お堂を目指して駈け登っていった。 無数のケイタイが天にむけて掲げられ、 小さな液晶画面が蛍のように揺らめき、 「チェッ」「チェッ」「チェッ」。 大勢が一斉に舌打ちするような音がして蛍が瞬いた。 善男善女は大歓声をあげた。 山奥のFACTORYで過ごしていたオレには、 久々に見るヒトのカタマリである。 欄干に辿り着いた火は一瞬間をおいてから、 うねりながらクルクル回り、 見上げるヒトらの頭上に 火の粉を振りかけ右へ奔りだす。 その流れはオレの眼球のなかで 炎の龍の残像になっていた。 <お水取り>のオタイマツという荘厳な儀式である。 十本の大松明が次々とお堂に上がるとまた闇夜に戻り、 善男善女のほとんどはたちまち闇の中に消えていった。 しかし、東大寺二月堂の内陣のなかで執り行われる <修二会>という夜の法会は、 これからがはじまりなのだ。 天平勝宝四年から途絶えることなく引き継がれてきた 東大寺のこの行法は、二度にわたる兵火で ほとんどが焼け落ちたときですら止まらず、 千二百五十三年目の今年を迎えているのだという。 「どうぞ、こちらへ」 御案内いただいた華厳宗東大寺の塔頭新禅住職である 森本公穣さんの後について、 オレはついに二月堂の扉の中へ入っていた。 そこは灯明だけの闇の空間、<礼堂>である。 「全て終わるのは午前一時半頃になります」 考える余裕もなく流れに従って、 山奥から新幹線で駆けつけてきて 今や二月堂の暗闇に入ってしまったものの、 ちょっと後悔した。 これから六時間半、 当然だが暖房もない暗闇に座ったままなのだ。 マ、これも流れだ。思い直すと、 辛くもなく、寒くもなく、 ただ目玉と右耳だけになったオレが 暗闇に漂っているような感じになっていた。 目が慣れてくると、 青竹で区切られた礼堂の両側の闇だまりに 参拝者が座っていた。 須弥壇に<十一面観音菩薩>を安置している<内陣>とを 仕切っている幡といわれる白い布に眼を凝らした。 全てのヒトらの罪過も代わって懺悔し 幸福を観音菩薩に願う、 お籠もりをして身を清めた十一人の練行衆のシルエットが ときに大きくなったりしていた。 和紙で作った紙衣をまとい 差懸というサンダル様のモノを履いた彼等は、 観音菩薩とヒトとの媒介者なのだろう。 六十年代のアングラ・ジダイ、 オレは袂に五千円札を忍ばせ 月に一回新宿の呑み屋のカウンターに、 インド哲学者の松山俊太郎氏を待っていたものだ。 チンプンカンプンな<唯識>の話を聴くためだったが、 壮大な荘厳は難解の限界を過ぎて いつも酔っ払っていたのだが、 それでも楽しいジカンだった。 「いつか、華厳を読むとイイ。 理解しようとせずとも、 ただ何度も何度も読んでいると分かってくるよ」 と言ってくれた氏と呑んだくれ酔いつぶれ、 いつか忘れてしまっていた。 ガタガタと激しく床を打つ 差懸の音が聞こえる散華行道や、 早くなりゆっくりとなる唱誦される声明、 結界を越え内陣駈け込んできて行う五体投地。 コトバの意味ではなく 音感として染み込んでくるようだった。 鈴や音色の違えた法螺貝まで入ってきて、 壮大な仏教オペラもクライマックス。 いつのまにか後ろに立たれていた森本住職が 「後についてきてください」 と言う。 ついていくとそこは内陣に対して礼堂正面の 僧侶が座る席だった。 オレは緊張して正座した。 結界の幡が巻き上げられる。 いよいよ<だったん>である。 法螺貝、錫杖の音に合わせ 練行衆が堂内に燃えさかる大松明を持ち込み 打ち振り激しく引き回す。 まるで世界の煩悩を焼き尽くさんばかりである。 最後は松明を数回上下させ 勢いよく内陣の床に叩きつける。 オレのすぐ目の前まで火が飛び散った。 そして衣をたくし上げ内陣を走り回り礼堂に出てきて、 五体投地を済ませては席に戻っていく。 「香水をだせ」奧で大導師が叫ぶと、 堂司が杓子から垂らしてくれる香水を 掌に受けて口に運んだ。 荘厳な火と水のオペラは、 六時間という時計時間を感じさせなかった躯全体を、 数滴の水が充たしていった。 <お水とり>のこの時期、満室だった旅館の ひと坪ほどの茶室に泊めて貰ったオレだったが、 イイものを観たあとに眠ってしまうのが惜しいくなり、 奈良在住のT氏とY氏を招いて 五時までショーチューを呑んだ。 四〇年ほど前に覚えた アーラヤ識・マナ識などといったコトバが まだ記憶の底に刻まれていた今、 華厳宗の東大寺に来ることになったのも 何かの御縁というものかもしれない。 運慶の彫刻を観てから帰京しようと思っていたが、 千二百五十三年の激しい<仏教オペラ>のジカンを たっぷり吸い込んで大満足。 今回は南大門の<阿吽像>を眺めるだけで 帰ることにした。 合掌。 |
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2004-03-18-THU
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