クマちゃんからの便り

春の露


夜七時から真夜中一時までの
あの六時間から生還して、
その後二坪弱の小さな茶室で
ショーチューを呑んでいると、

何の変哲もない明るい朝の五時になっていた。
南大門まで出掛けて阿吽を見上げた。

鳩の糞除けに張り巡らせた金網に当たるヒカリの加減で
仁王の顔がモアレで霞んでいたが、
踏ん張っている巨大な親指が目の前に迫っていた。

運慶の激しく鋭い刃物のひと彫りの痕は全体であり、
全体はあの一彫りであるようだった。



確かにオレはここの二月堂であの六時間を過ごしたのだ。
現実の朦朧とした朝と<あの六時間>との間を
往き来していた。

京都駅から新幹線に乗った。
身体が鉄路と鉄輪の摩擦にめり込んでいくようで、
二月堂の<あの六時間>が
ずんずんと不透明な遠景になって往った。
二日酔いの朦朧としていた頭蓋内はしかし、
いつもとは違う豊かな不透明だった。

奈良で買った柿の葉すしを喰う。
半不透明なる幾重もの幕をめくっていると、
脊椎に伝わる鉄の摩擦係数に微睡んでいたのだ。

実忠が演出して
千二百五十三年途絶えることなく続いている
二月堂・内内陣の<お水取り>のラストは、
十一人の僧侶が床を踏み鳴らす
あの<ダッタン>の行法だ。
あの火と水の行法<ダッタン>が明滅しはじめた。

激しく打ち据える木と木の衝撃音は、
現代の鉄路の摩擦に溶けこみ、
トランペットに近い高音の法螺貝、
木に打ちつける錫杖の古代のダイナミックなリズムが、
ありありと甦っていた。
内々陣から突き出し飛び散った大松明の火は、
二月堂すら炎上させる勢いだった。
千二百五十三年前に実忠は
どんな世界を観ていたのだろう。
<火と水>のあの空間がオレの頭蓋に、
ずんずん流れ出し奥まっていた時間に換わっていった。

訪れる機会がほとんどなかった
日本海に面した西海岸地帯は、
荒だった海との境界線まで
低く分厚い雲が垂れ込めている思い込みだった。

まだ雪が残っている山々に
ぐるりと取り囲まれた平野との境目、
春の霞が漂うあたりに
百数十年の伝統だという手作り木彫の町があり、
お邪魔した家の鴨居に曲がりくねった木の枝が
二、三本さがっていた。

先の一寸ほどが繊維がボサボサと露わになっている。
竹筆は見たことはあったが、これは藤の蔓に違いない。

主は、確か書道家が作ったモノを貰ったと言う。
オレは百数十年の手技より、
書き難そうな曲がりくねった筆に興味がいった。
人通りのない細い路地を往くと、
老人が家の裏にある小さな畑を起こしていた。

「身体の具合が悪くて…。一本だけ残っている」

と杖のように長い藤筆を持ち出してきた。

「これで良かったら…
 春だからそろそろ作ろうと思うけど」
 
書道家だという彼の身体は春の霞のようにたなびいて、

「よかったらこれも持って往きなさい」

と言う。茗荷で作った小さな筆だった。



山奥のFACTORYも
梅の花がやっと一輪開いたところで
たちまち雪を被ってしまった。
春の雪は積もる端から水に戻っていく。
激しく降りしきる雪にオレは閉ざされたまま、
一〇〇個の小さなオブジェを創りはじめていた頭蓋に、
<ダッタン>の激しいリズムが甦っていた。

茗荷筆で和紙に無数の線を描く。
もうすぐ空間をジカンに換える
巨大なオブジェを削りはじめるのだ。

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2004-03-24-WED
KUMA
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