クマちゃんからの便り

赤い海




ゲージツ三昧の山ごもりが続き、
海に漂うジカンがなかなか作れないまま
四月も半ばになってしまった。

久しぶりの釣行は島根県・浜田沖で、
釣った小鯵を背掛けにして
ヒラマサを狙うというものだ。
生きたイワシを泳がせて
三kgほどのヒラメを釣ることは
千葉の海でよくやる釣法だが、
一メートル級やそれ以上のヒラマサというから
ココロが騒ぐのである。

仕掛けもそれに対応したモノを自分で作ってきたし、
道具にも抜かりはない。

眼下の雲のカタマリを眺めながら、
和紙で創るヒカリのオブジェの構想を深めていた。
一〇〇〇枚の和紙を揃えたFACTORYで
一気に仕上げるつもりだ。

雲を抜けると海が開けた。
陽のヒカリを反射して
紅色に輝く帯が海に広がっている。
しかも浜田の辺りの海岸線に
幾重にも押し寄せているではないか。
ムンクの画にあるようなうねる赤い色が創る
不気味な夕焼けの曲線の連なりだ。
プランクトンの累々たる死骸がつくる赤い海に、
オレが墜ちていくようだった。

不吉な気分と反して、
菜の花がのどかに咲き
サクラの花びらが風に舞う浜田の町は、
芽吹きの色に充ちていた。
早速、防波堤に出てみると
やっぱし赤潮が漂っていて、
足元に小魚の姿さえ見えない。
仕方なしに小鯵のサビキを出してみるが
全く反応無し。
夕暮れ、鯖の切り身を縛り付けた
この地方独特の仕掛けでイカを探ってみるが、
やっぱしダメだった。

急な水温の上昇などで発生するという赤潮が、
こんな広範囲に広がっているとは予想もできなかった。
生き餌の小鯵やイカさえ獲れない酸欠の海で、
ヒラマサはどうしているのだろう。
ここ浜田で五十年漁師をやっている
七十二になるジッチャンが

「こんな赤潮は梅雨時まで続いて、
 ヒラマサが回遊するのはそのあとだ。
 まだ早すぎる。いま釣れているのは
 高島の磯についている<掛釣り>だけだよ」

と言う彼は、小学校しか出てない。

「何だ、その掛釣りってのは」

「沖アミを入れたカゴ仕掛けを流して釣るんだよ」

オレは沖アミのこませで集めた魚を釣る方法は、
ほとんどやったことがないし興味が湧かない。

「ここらの職漁師はやらないし、
もちろん俺もやったことはないよ」

とジッチャンは、
自分で作ったというタコベイトの
年季のはいった仕掛けを見せてくれた。

「沖アミで飼い慣らされたようなヒラマサなら、
 しょうがねぇな」

と言いながらも、淡い期待をもって
翌日赤い海に出てみたものの、
魚探の魚影は薄かった。
おまけに潮も動いてない。




餌屋で仕入れた小鯵を
作ってきたヒラマサ仕掛けに掛けて出してみたが、
待てど何の反応もない。
ジッチャンも仕掛けを上下させながら、
何一つ反応のない海に頸を傾げるばかりだった。
繰り返す若い船長のジギングも空しい。

快晴の空の下で、
渦巻き模様がますます濃くなっていく
絶望的な赤い海に、
いつまでもロッドがピクリともしない分、
ゲージツ・ジカンが漂う頭蓋内では、
猿沢の池に揺らぐヒカリを宿す
何基もの和紙の大きなオブジェのプランが
出来上がっていき、
なおも続く赤い海の沈黙に
十数トンのトラバーチンを削る
牟礼の石切場まで現れてくるわ、
金比羅の金丸座に創る石の水琴窟が響くのである。
モノとの摩擦係数を過ごしている
クローズアップな時間に隙間をつくり、
ただ海に漂っているロングショットな
ゆっくりしたジカンはイイものだ。

そんな時、ロッドが突然大きくしなった。
が、ヒラマサの鋭さではなく、
重さは伝わってきても覇気はなかった。
巻き上げると、赤い海面に
赤い大きなメバルが浮き上がった。

それっきりで、船の生け簀の中で
餌の小鯵が腹を見せ始めていた。

「赤潮が入りこんできたから、
 小鯵はひとたまりもないねぇ」
 
船長がすまなそうに言う。

「ヒトの都合に合わせた地球じゃないしなぁ、
 ま、このメバルを刺身にして一杯やるかい」

「夏の終わりになれば、
 泳がせ釣りで回遊してくるヒラマサが釣れるよ」

船長が微笑む。
初めての日本海の釣果は無惨ではあったが、
初めて眼にした赤い海で取りもどした頭蓋で、
またミクロな摩擦係数との
地道なゲージツ・ジカンに戻っていくのである。

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2004-04-21-WED
KUMA
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