クマちゃんからの便り

春は御神楽


出雲の浜田はさすがに神楽の里らしく、
駅前の小さなバスロータリーに
誰一人観られることもない神楽殿があって、
電気仕掛けのヤマタの大蛇が
一時間おきに現れてとぐろを巻く。
出雲神話の電化神楽。

釣れないヒラマサを求めて浜田沖に漂う赤い海に

「お田植え祭りの御神楽があるだよ、今年はどうするだぁ」

FACTORYがある武川村の須田さんから電話だった。
武川村にも五穀豊穣を祈る御神楽がある。
水がイイのと昼夜の温度差が大きいのとで
<武川村米>は評判の米だ。
ゴールデンウィーク頃はじまる田植えの前、
村の男衆の御神楽がある。

田植え前の春らしくなった日、
村の衆が神楽舞い奉納して
拝殿に降りてきた神さんと同じ酒や馳走を喰う。

彼は村一番のヒョットコ道化の舞い手だ。
オレも毎年、FACTORYから高台の神社に登り
みんなと神楽を楽しみながら酒をよばれている。

「行きたいけどなぁ…
 いま、釣れないヒラマサ釣りの真っ最中なんだ」

遙かに遠い
山岳からの電話を切ろうと思った時、
村の祭りや地鎮の時に<結界>を作る竹を
何処からか切って担いできた彼の姿を思い出した。

「竹が欲しいんだ。手に入るべか」

さっきまで構想していたヒカリの骨組みである。

「釣り竿にするだか」

渓流でのヤマメやイワナ釣りしか知らない彼は、
海ではモウソウ竹を竿にすると思ったらしい。

「いや、次にはじめるゲージツだよ」

「箕を作るために取っておいた油竹だったらあるだよ」

「二メートル程のを数本欲しいんだよ」

プランクトンの死骸が海原に作る
赤いフラクタル模様に見入る釣れないジカンの御陰で、
オレの頭蓋内にいくつも交差していた

ヒカリの輪郭が整理され、
直径二メートル三メートルの
<ヒカリ繭>が具体的になっていた。

『もうこうしちゃいられないわい』

ヒラマサに見切りをつけた。
甲府駅で降りて西島に向かう。

ミツマタコウゾや蕎麦は貧しい土地に育つのだが、
山梨の西島は今でも細々と和紙を漉いている里である。

一〇〇〇枚購入。
道具屋で竹割り鉈やくり小刀も手に入れて、
久しぶりの武川村だ。
近景の山々はすっかり芽吹きの色で靄っていて、
FACTORYの白いハナミズキが浮いていた。





「お払いしてもらった縁起がイイ竹だずら。これでイイけぇ」

御神楽を舞い神さんとのエン会を済ませたSさんが、
竹を担いでFACTORYにやって来た。

「悪りぃねえ」

「たんなかったら言ってくりょう」

放流の件で寄り合いがあるからと彼はすぐに消えた。

八立米のサイバー・キルンを自分で設計し作り上げて
すでに三年経ち、
今では五〇〇kgの硝子のカタマリに宿したヒカリを
削り出していたが、
サイバー・キルンの能力を超えた頭蓋内のヒカリは、
ますます大きくなる一方である。

二〇〇三年暮れ、
パリに持ち込んだ布(ジョーゼット)と
糸とボタンをファスナーで繋いで、
五メートルの揺らぐヒカリの柱を創った。
二〇〇四年のヒカリ・シリーズ第一弾は、
古都・奈良の猿沢の池に出現させる
巨大な<ヒカリ繭>になるだろう。

朝からハナミズキの下で繭の骨格となる竹を割っていた。
まっすぐに見える竹の繊維も微妙に捻れている。
手首の回転を調整しながら
まっすぐ降ろす鉈が繊維を裂く。
青空にまだ雪が残った甲斐駒を貼り付けたように
くっきり聳えるFACTORYだ。
芽吹きの微弱な音に混じった
少し水気を含んだ繊維の裂ける音が、
オレの脊椎に痛みと心地良さを響かせていた。

もう遅かった。

右手のコントロールを外れ暴走した鉈が、
左の親指の爪を縦に直撃した。
皮膚の裂け目にみるみるうちに表面張力が膨らみ、
ついには崩れ緑の竹のうえに滴った。
自分の血を久しぶりに眼にした。
救急箱を開けて片手で手当をしたが、
ガーゼがすぐに滲んでしまった。

「あれ、戻っていたのかい」

チェロキーが止まった。往診途中のドクトルだ。
山奥のこんなタイミングも
お払い済みの竹が呼び込んだのかも知れない。

「ちょっとやっちまっただよ」

オレは甲州訛りになっていた。

「今度はまた細かいコトやっているね」

と言いながらさすがにドクトルは手際がいい。

「ついでだから血を抜いておくかい」

今は血液から身体の不具合が分かるらしい。
右腕に注射の針が刺さり
繋げた小さな容器に勢いよく血が溜まった。

「結果がでたら知らせるよ」

今日は己の血を見る日だわい。

また竹のヒゴを糸で繋いでいた。

「細かいことやってますねぇ」

振り向くと今度は甲府の蕎麦屋<専心庵>の主だった。
彼は打った蕎麦を、作陶して自分の窯で焼いた器で出す。
たまにオレは客のいない時間に行って、
蕎麦湯で割ったショーチューを呑み
仕上げに蕎麦を食う。

「いい天気だから散歩にきました」

彼が持参してきた餡パンとお茶で休憩。

「手を切っているうちは上達するって、
 修業時代に親方からよく言われました」

彼なりの励ましを言って帰った。
また静かになったハナミズキの下で
夕方まで、柔らかい竹で繭の空間を彫刻していた。




片付けをしていると金チャンが来た。
石のオブジェを置く中央病院を建てている
大成建設の所長だ。

「近くに見つけた山菜料理の店で一杯やりましょうや」

清春の山に登っていくと、
白樺美術館の脇にある落ち着いた佇まいの
<冬青庵>という店だった。
一〇トンのオブジェの床の補強構造を打ち合わせ。
牟礼に行ってトラバーチンを削るジカンも迫ってきたわい。

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2004-04-23-FRI
KUMA
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