クマちゃんからの便り |
FLYING CAT ヒラメ、マダイ、カワハギ、キス、ヤリイカなど、 千葉の海に漂うたびに狙った獲物を詰め込んできた オレの大型クーラーボックスは、 部屋に戻れば無用の長物になっていて、 久しぶりに開けてみると、 空しい四角い空気が詰まっているだけだった。 今年になってゲージツ三昧の山で過ごすことが多く、 釣りに出掛けるジカンがなくて、 この空気がいつ閉じこめられたのかも思い出せない。 ゴールデン・ウィークが始まった地下鉄の車内は、 気持ちのイイ空への行楽に向かう子連れの家族や、 いちゃつくアベックばかりで、 オレとはかけ離れた華やいだ空気感だった。 毎年この季節は果実の花が咲き乱れる 山梨、長野方面に向かうヒト等で、 新宿駅中央線プラットホームはごった返していた。 <アズサ>も<カイジ>はすでに指定席も、 グリーンシートも全て売り切れだった。 山へ向かういでたちに混じり、 大型のクーラーボックスを肩からさげているオレは、 海から来た異形の行商人である。 ヒトを避けるたびにゴトゴトと大きな箱が鳴った。 自由席すらデッキまでヒトが詰まっていて、 <アズサ>に飛び乗り なんとかトイレ脇の小さな隙間に押し込んだ クーラーボックスに腰掛けた。魚を詰める箱が、 他のコトで初めて役立ったのだ。 見慣れた沿線の景色はいっさい見えないが、 電車の揺れでクーラーボックスがゴトゴト鳴っていた。 日本一長い笹子トンネルに入ったらしく、 鉄路の音が大きくなり オレ独りが大きな箱の中に詰められて、 ゴトゴト揺れている気分になっていた。 《二十四年前か…。》 一九八〇年。芦花公園の植木屋の森にあった ベニヤで出来た物置の二階を<ベニヤ御殿>と名付け、 ゲージツ家はまだ絵を描きながらくすぶっており、 ときどき訪ねて来たアングラ劇団 <状況劇場>を辞めた根津甚八や、 小林薫と酒盛りをしていた。 その頃オレは、漫画雑誌<ガロ>に 三作ほどの劇画を描いて単行本にもなったのだが、 <ガロ>の編集長を辞めてイラストライターになり まだビンボーだった南伸坊も エン会に加わるようになった。 みんなまだ自分の居場所がなく、 身体を少しづつ揺らしては動ける 自分のスペースを拡げていたのかもしれない。 月見としゃれ込んだエン会がお開きになって、 ベニヤ御殿の狭いたたきで何かが鳴いた。 着流しで生息していたオレの高下駄の上で 真っ黒い小さなモノが ブルーの丸い眼をして見上げていた。 猫だった。 落とし主は伸坊だった。 電話をすると 「八月六日に五匹生まれて、 みんな引き取られていったんだけど、 小さくて気の弱い一匹が残ったんです。 根性を入れてやってください」 と言うのだ。収入源のほとんどは土方シゴトで、 滞りがちの養育費を送らねばならない身分だったオレは、 一人でも危ない状態だというのに 他の生き物なぞとんでもないコトだった。 「黒い猫はカラス猫といって、福を運んでくる」 という猫好きのコトバで、 あっさりと黒猫GARAと 一緒に暮らすことにしたのだった。 オレはドンブリいっぱいにキャットフードを入れ、 洗面器いっぱいに水を張って 一〇日も留守にすることもあった。 それでも生きていたんだ。 隙間だらけのベニヤ御殿は 石油ストーブを焚いたところで極寒だった。 二〇〇号の絵を描いているオレの足元で、 見上げて鳴くガラのピンクの口から 小さな白い息が吐き出されていた。 ビンボーは変わりなかったが、 まもなく鉄をゲージツするようになり、 GARAと一緒の引っ越しは 数十回繰り返されるもののすぐに慣れた。 溶鉱炉を手にいれて鉄を溶かし、 ヒカリがほしくなり硝子を削るようになった。 GARAはいつもそこにいた。 この数年はすっかりかっての黒豹の面影は薄れてきたが、 イタリア遠征のオブジェ群を創っている時も、 凱旋帰国してきた時も ブルーの美しい眼で迎えてくれた。 しかし、この一週間は急撃に弱って やたらと日向ぼっこをしたがり、 植木などの隙間をヨタヨタと歩き回る。 きっと死期を直感したのだろう。 オレは最後の瞬間まで見届けようと思っていた。 <誰でもピカソ>の収録で、ゲストの南伸坊と、 控え室で久しぶりに会った。 「えーっ、GARAはまだ生きていたんですか、 あのいちばん弱かった仔が…」 「もうそろそろ逝きそうだよ」 「他の兄弟はみんなとっくに逝ってしまいました」 落とし主の彼とこんな形で会うのも何かの縁だった。 NHKの釣り番組で島根に出掛け、 釣れないヒラマサを追って 来る日も来る日も日本海に漂っていた。 『待っててくれ』と念じていた。 とうとう釣れないまま戻ってくると、 彼は横たわったまま 美しいブルーの眼で待ってくれていた。 今夜がいよいよだと覚悟の添い寝していた午前三時。 骨を包んだ毛皮だけになっていた GARAの呼吸の間隔はゆっくりとなっていき トクトクと早まる胡桃大の鼓動が皮を動かして、 小さくまだ生きていた。 後ろ脚が突っ張って硬直したが眼は美しいままで、 「俺はそろそろ往くぞ。覚悟はイイな」 と言ってるように思えた。 「ありがとう。もう心置きなく往ってもイイぞぉ…。」 オレは彼の脚をさすっていた。 彼は声にならないしゃっくりと痙攣を繰り返す。 「そろそろ往くかい…」 オレも呟いた。 鼓動はまだ続いていた。 正月に写経した<般若心経>の上に彼を移した。 突然駆け上がるように前脚を突っ張った。 「さいなら…」 とうとう旅立ったのだ。 写経のうえで天を駆けるような恰好で硬直した。 海のようなブルーの眼は たちまち幕が張ったようになって 力無く見開いていた。 オレのビンボーもオンナたちのメモリーも みんなお前は墓の中に連れていって、 死への一部始終を見事にオレに見せてくれたGARA、 お前は最後までいいパートナーだったわい。 雪に埋まったモンゴルのウランバートル草原の上で、 飢えて死んでいく牛を見送っていた一家に、 つかの間ご一緒したことがあった。 次第に生きたヒカリが失われていく牛の眼に、 覗き込んだオレが映っていたのを想いだした。 家出したまま三十五年会うことのないまま、 植物になった親父に会いに行ったときは もう<死>の物体に見えただけだった。 嵐山光三郎と深沢七郎親方を見送りもした。 GARAは親や誰よりも オレと一番長く暮らした生き物だったし、 一番身近な《死》というものだった。 般若心経の写経に包んでクーラーボックスに収め、 甲斐駒が見えるFACTORYに 埋葬することを決めていた。 「後ろを失礼します」 背中に弁当売りのワゴンが当たった。 アズサが韮崎駅に着いた。 狭いクーラーボックスから彼を出して、松林に墓を作った。 オレはまた<ヒカリ繭>の制作にはいった。 |
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2004-05-07-FRI
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