クマちゃんからの便り |
軽量から重量へ往ったり来たり <誰でもピカソ>収録の控え室。 隣に座ったゲストの妖怪漫画家・水木しげる老人の 強い視線を側頭部に感じていた。 ついに右下から 「それはハゲ?剃っているの?」 興味深げな声がした。 彼の左耳に肌色の小さな補聴器が埋め込んであった。 オレは少し大きめな声で 「両方です。毎朝剃髪して四〇年ほどになるけど、 そろそろ生えることを怠ける毛も ずいぶん増えてきました」 と答えた。 「それにしても眩しいねぇ」 水木サンは黒いサクランボウを 機械仕掛けのように頬張りながらも、 眼はスキンヘッドに止めたまま 「三割はもう妖怪だねぇ」 としみじみ言う。 ゲージツ家の生息形態は 妖怪にちかくなっていくのだろうと思っていたが、 妖怪達人からのアリガタイお墨付きだった。 剃髪なぞしなくて済む頃になれば、 オレも完全妖怪になれるのだろうか。 青の夢殿から、香川の石屋に飛んだ。 すでに直径七〇センチの球体を削った紅い大理石 ロッソマグナボスキを置いてある西山石材に、 トラバーチン・フローレンスと トラバーチン・ヴェローナ一〇数トンが 届いたという知らせがあった。 もう梅雨入りしたはずの瀬戸内の石の町は風もなく、 空梅雨なのかぽやけたおてんとうさんの元で、 ベニヤ板を三メートル平方に敷きつめた。 猛烈な湿気にまみれて原寸大のデッサンをして 十五のパーツに切り抜き型をおこした。 色の違う巨大な石から パーツごとに切り出したカタマリを、 ヒカリのカタマリとを太い鉄のカスガイで 繋いでいくのである。 総重量二十トン弱のオブジェを 夏、秋が過ぎる頃には仕上げ、 甲府まで運び中央病院に設置するのは 十二月の後半になるのだが、 石屋のかき入れ時になる彼岸や盆の時期を外しながら、 毎月牟礼に通っては石に立ち向かうことになる。 その間に、金比羅歌舞伎で有名な 重要文化財の芝居小屋<金丸座>のオブジェに 県産石の庵治石を使おうと思い、 分けてもらおうと以前から懇意にしている 石切場の大久保翁を訪ねた。 背筋をのばした翁の貌は 相変わらず松平藩家老直系の余裕の雰囲気を感じさせる。 庵治石は高級墓石らしいが、オレは墓には興味はない。 墓にならない部分を使うことにした。 ゼニが無いときは頭蓋と筋肉を使うのだ。 目眩をおこしそうな切り立った石切場の てっぺんに案内され一服した。 涼しい筈の景色に、余裕をかまして 愛用の尺八の稽古でもしようと思ったが、 固まったまま煙をはくオレの背中は 別の汗でびしょびしょで そんな余裕はすでになかった。 高知の山内家に仕えたウルシ職人の家系だった爺さんは、 十七歳で北海道に渡り屯田兵になり、 その孫であるオレは十七で家を出て 津軽海峡を渡ってゲージツ家になったのだが、 それにしても<身体だけが資本>は、 どうも家系らしいわい。 |
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2004-06-09-WED
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