クマちゃんからの便り

花を喰う


FACTORYを建ててくれた鉄筋工のアンちゃん等が、
記念にといって植えてくれた梅の苗木が、
一〇年で丈が一メートルちょっとになって、
この数年は毎年花を咲かすようになった。

花も終わった時期にFACTORYで制作していて、
一服しながらぼんやり眺めていた梅の葉陰に、
大きな三粒の青い実が成っていることに気づいたのは
三年前だった。
気がつかなかったが、
それまでもすでに実は成っていたのかも知れない。

丁寧に洗った三粒を新聞紙に並べ
日干し夜干しをくり返し、
村の衆から分けて貰った梅酢に漬けて、
美味い梅干しを作ったものだ。
しかし、去年は、どういうワケだか一個も成らなかった。

今年は丁度タイミングよく
FACTORYで制作していた。
一服しながら眺めていた木の
丈には不釣り合いなほど咲いた梅の花に、
忙しなく潜り込む小さな一匹の虻が見え隠れしていた。

<東風吹かば匂いおこせよ 梅の花…>

此処かで読んだことを思いだして、
花の中に鼻を突っ込んだ。

出来たての匂いに迫ってみたくなったオレの嗅覚は
やっぱり反応せず、
癪に障るから花に食いついてしまった。

口の中に小さなバイブレーションを感じたが、
もうその時は噛んでいた。
まだ雪を残していた甲斐駒の頂がゴォオオーと鳴り、
辺りはまた静かになった。

花弁に絡んだ青臭い味が拡がり、
口の中の曖昧な箇所から大量の唾液が湧いた。
「こりゃイカン」と感知すると
飲み下すための大量の唾液が自動的に分泌されるように、
嗅覚を失ったオレの器官は
いつの間にか進化しているに違いない。
もう虻は見当たらなかった。

湧いてくる唾で青臭い昆虫の体液を飲み下しながら、
持ち出したペンキの小筆で、
虻の替わりに初めて梅の花弁の受粉作業をした。
上手くいけば、今年の梅干しは五〇個程になるはずだ。

一〇年前の此処に留まったまま、
春夏秋冬を繰り返す一本の梅の木は歴史的である。
オレは一所に長く留まることなく山奥から浮遊して、
海や四国の石切場への距離を往ったり来たりする
ゲージツ・ジカンである。
台風が多い今年の梅の実は、
その後はどうなっているやら…。

ビシマ仕掛けでまた海の底を探ってみたくなり、
水のタンク、白灯油コンロ、エスプレッソマシーン、
鍋、薬缶から米まで生活道具が詰まっている
カーペンのワンボックス・カーで、
千葉の海に向かった。
釣り場まで走っては車で寝泊まりしている彼は、
カタツムリみたいな男である。

朝、船宿から波止場に向かうとカーペンが、
車の脇でエスプレッソマシーンを沸かしていた。

「イイ匂いだっぺ」

潮枯れした威勢のいい声に振り向くと、
恰幅にいい身体に巻いたオットセイのようなゴムの合羽は、
イワシの鱗で光っていた。
網元のおかみさんである。
延びたシャツの襟ぐりからピンクのブラジャー紐が、
クリップで留めたケイタイで引っぱられて、
いっそう浜のオンナの生活力を顕している。
無造作に引いた口紅が、妙に艶めかしい。

「活きのいいとこ少し分けてくれよ。
 メバル釣りの餌にするんだ」

「ああ、持ってけ」

尻上がりの浜訛りである。
この時期の生き餌は禁止されているから、
背黒イワシのデスベイトでメバルを釣るのである。

「六円か、油代も氷代も出ねぇぺや」

おかみさんは、五〇トンのイワシを獲った
沖の母船に怒鳴ってから、別のところに連絡している。

「キロ十三円か、そっちに向かうから」

また胸から引っぱりだしたケイタイで、
母船に高値の港に向かうよう指示した。

中国のオリンピック景気で、
鉄屑のスクラップや鉄骨が今年になって高騰していて、
品薄気味である。
職漁師も、都市の工事者も刻一刻と
ゼニに走り回っているのだ。
竹と和紙、蚊帳の生地、石で巨きなヒカリを求めている
オレのゲージツは、経済とは関係ない。

「昨日の夜揚げた背黒はまだ活きがイイから、
 これ持ってけ」

おかみさんは優しい顔に戻っていた。
あまり美味そうに光るイワシをそのまま喰った。
<梅田丸>に乗り込んで、
マダイは掛からなかったが
ビシマで初めてハナダイを釣り、
ホウボウや、ショウサイフグまで釣った。
魚とのハンデをなくした原始的な仕掛けのビシマで
海の底を探る釣りにはまったようだ。
午後から背黒イワシで大きなメバルを獲った。

海はオレを活気づけてくれるわい。

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2004-06-23-WED
KUMA
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