クマちゃんからの便り

微塵のなかに‥‥


すぐ脇の古い遍路道の炎天下をときどき
<同行二人>と書かれた白装束が黙々と登っていく。

<トラバーチン>は割と柔らかい鉱物なのだが、
やっぱり石にはかわりない。
石の彫刻家なぞではないオレは
クソ暑い炎天のもとで
石工のように大理石の微塵にまみれ、
異国の地下で生成されてきた
幾億年のジカンと戯れながら、
ただひたすら石を削りヒカリを磨いては、
タフなインプロビゼーションを刻み込んでいる。

オレの半分ほどの若い石工のヨシに、
大きな石とのやり取りの技を教わりながら
焦るでもなく滞るでもなく、
オレのなかで決めてあるコード進行を、
寒くなる十二月まで毎月この地に来ては
ジカンを展開するのだ。




近代合理主義からも資本主義経済なぞからも
遠ざかっていくようなオレは、
夜は寒いくらいの蚊帳の<柔らかいカプセル>で、
頭蓋と筋肉をボンヤリさせ
<一即一切・一切即一>
<一入一切・一切一入>
重重無尽の縁起の世界を巡らしていると、
少し飽きてきたから、
春先に新しく植えた無花果の苗木に水をやっていた。

書道の名人亀田氏から届いた布袋竹で作った竹筆で、
さっそく元興寺に奉納する<華厳唯心>を写経。

NYから美術批評家のMorganが、
オレの制作現場をわざわざ見に来るという。

二〇〇年ぶりにヨーロッパを襲った
熱波のヴェネチアLIDO島に運び込んで
大きな松林のしたに設置した巨大な鉄のオブジェ
<まだ未熟なピリオド>の前に座り込んで、
いつまでも見つめている男がいた。
背の高いクールな貌をしているが、
ヨーロッパ系のアメリカ人だと思った。
ハイライトを吸っているオレにときどき向ける
人懐っこい笑顔に『悪いヤツではないな…』とみた。

北野武監督の<座頭市>が監督賞を獲った
ヴェネチア映画祭のLIDO島で同時開催だった
<OPEN2003>である。
近づいてきた彼に
「アメリカ人か」
オレは思い切って聞いた。
「イエス。少し質問してもイイか」
アメリカのイラク攻撃が始まったばかりで、
海を越えていくオレのオブジェが危うかった。
そのことを恥ずかしいと云う彼は信用できると思った。

ヒカリについて話すのだが、
つたないコトバでもどかしかった。
オレがコトバに詰まっていた時、
大きなマツボックリがオブジェに落ちて中で反響した。
「あの音も君のデザインか」
とMorganが聞いた。
「もちろんだ」
「いいアイデアだね」
と、彼はそのマツボックリを拾った。

サハラ砂漠でのコトやモンゴル草原でのコトや、
ダラム・サラでのゲージツを話した。

「オレは美術家ではなく、
 大地に標を打ち込んでいく浮遊者なのだ」

伝わったかどうか分からなかったが、
彼は微笑んで頷いていた。
以来ときどきメールでやり取りをしていた。

アメリカの雑誌にオレのゲージツについて
八ページ書くために、取材にくるというのだ。
逢うのは一年ぶりだ。

ときどき客のいない時間にショーチューを呑み、
主が打ってくれる蕎麦を喰う
甲府の小さな蕎麦屋<専心庵>。
永いこと和食の板前をしていた主は、
八年前から蕎麦に専念しはじめたという。
器も自分で作陶しなかなかの趣味人である。
「山菜の天麩羅は出来ないか」
「山菜はもう大きくなっちまって喰えねぇだよ」
「アメリカからの客をもてなしたいんだが…」
「地の野菜で作るけぇ」
「じゃあメインは蕎麦、前菜は天麩羅、頼むね」
「やってみるだよ」。

八月の奈良<ヒカリ繭>に向けて
いよいよ本格的な準備にはいる。

クマさんへの激励や感想などを、
メールの表題に「クマさんへ」と書いて
postman@1101.comに送ろう。

2004-07-19-MON
KUMA
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