クマちゃんからの便り |
コツゼンの速度 クソ暑さが押し寄せてくる山奥のクーラーなぞない FACTORYにて、<ヒカリ繭>の準備である。 甲斐駒を越え 濃くなり過ぎた緑に熱せられて辿り着く風を、 ただ掻き混ぜているだけの工事用の扇風機は 気休めにもならない。 とても行けそうにない千葉の海に、 腹いせ紛れに電話してみるのだが、 「今年の海流はおかしな具合で、いつもの年なら マダイが盛りなんだけど…」 と行きつけの船宿のオヤジは浮かない声だ。 マ、行けないからイイかと思いながらも、 「クーラーや扇風機が売れ 電気や夏物の消費が上がるから、 暑くなるほど、経済は上向く」 なぞと経済専門家とやらの ノーテンキなほざきを聞くだに、 ますます破壊の不吉を感じるこの異常な熱波である。 それでもオレは<奈良・灯華会>での ヒカリ繭のコンパネ元型を作らねばならない。 汗が粘り着く作業の一服に、 サハラ砂漠やモンゴル草原で体感した 過酷な四十八度さえもが、 今となっては心地イイメモリーである。 ヒカリ繭の型作りがやっと終わった。 あとはカーペンのワンボックスで運び込み 古代の闇のなかで三日三晩の制作で、 忽然とこの大きさの寂光が立ち現れ揺らぎ、 三十五万人のヒト等の記憶のなかで羽化する <ヒカリ繭>になる。 充分な大きさである。 奈良で集める一〇〇〇メートルの竹も、 一〇〇平米の麻生地も、 いまはただ竹であり麻なのだが、 オレの手に掛かり美しいヒカリの繭になるための 重要な構成要素である。 <コツゼン>というスピード感は、 オレのゲージツの信条のひとつである。 しかし、コツゼンをやるためには 激しい筋肉と智慧のジカンが必要条件である。 ロバート・C・Morganが山奥を訪ねてきた。 ヴェネチアで会ってから一年ぶりだ。 FACTORYに吊り下がっていた <ヒカリ繭>の元型を眼にするなり、 「ファンタスティック! これがメールにあったヒカリのコクーンか」 とたまげる。 「やがてここからどんな蝶になった KUMAが飛び出すのか」 「いやオレじゃない、目撃したヒト等が 羽根を持った記憶を羽化させるのさ」 Morganがニヤリと頷いた。 「出来れば是非、NARAでコクーンになった ヒカリと再会したいものだ」 「飛行機が間に合ったら来いよ。 涼しいヒカリをプレゼントするから、無理するな」 <闇のヒカリ>を竹筆で書いて 乾くまで松の木に立てかけておいた扇子の半分が 蔭になっていた。 「KUMA、イイコトバが見つかったよ」 「アンタは詩人だな」 しかし、闇とヒカリの境目というような意味のコトバは すでにオレの頭蓋から掻き消えていた。 忘却の彼方である。 <専心庵>の主が打った蕎麦を喰いながら、 オレのゲージツへのインタビューになった。 「オレはけっして仏教徒ではないのだが、 ゲージツするオレの人生には 確実に華厳の哲学が流れている。 <グローバル>なぞという 一神教的なモノではないのは確かだ」 こんなジカンを照れもせずに過ごせたのは、 七〇年代、殴り合いのアングラ・ジダイ以来だった。 「すでにビジネス・スクール化してしまった ジャパンの美術学校では、 ただツルツルな経済のノウハウが大流行なんだろうよ」 「アメリカでも同じさ」 と彼も同意見のようだった。 「秋の選挙でブッシュが負けたら、 お祝いの電話してやるよ」 お節介な冗談を言うと 「ウン、待ってるよ」 と眼を輝かす。いつかオレのジカンが間に合えば、 腑抜けになっているNYにも プリミティブなゲージツのチカラを 放り込むときが来たら面白いけどな‥‥ と水を向けると、実はKUMAのそのことも 今回の取材旅行のひとつだったんだと言う。 「いつか、また何処かで会えると思うよ」 Morganは扇子でヒカリの風を起こしながら 車に乗り込んだ。 結局、塩漬けした梅の実も虫食いや黴で取り除き、 土用干しできたのは三十五個だった。 コツゼンをやるオレのささやかなスローフードってとこか。 |
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2004-07-23-FRI
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