クマちゃんからの便り |
ヒカリ繭ついに浮遊す 役人フクノは直接県民のための <余計シゴト>に野人の本領を発揮する。 ここがコッパヤクニンとは根本的に違うのである。 彼が運んできた太い竹を、 須田さんが荒縄でくくり <ヒカリ繭>を載せる御輿に仕上げた。 担ぎ手は八人、準備は万端だ。 なんとか颱風を追っ払った夕暮れ。 仮設工場から運び出しクスの樹に向かって コツゼンの御輿が丘を往く。 先棒のオレには、 シルエットになっている南大門や 大仏殿の輪郭からヒカリが放射して見えていた。 クスの樹にヒカリ繭が浮遊する。 二月堂の塔主住職・森本公穣さんは、 墨衣に包んだ一九〇センチの長身で 繭のそばに立っていた。 仮設工場で制作中の炎天下や、 雨の大仏殿わきの土塀を歩きながら 頭蓋内のヒカリと遊んでいるオレの前に、 彼はいつもコツゼンと現れた。 お勤めの途中の彼と出会ってしまうのである。 つかの間、ヒカリや土についての 立ち話をしたものだが、 「七日は年に一度の大仏様の御身拭いがあります。 私の独断でKUMAさんも 左掌を担当する組に登録させていただきました」 と言う。ヒカリ繭を大仏の左掌に 載せたかったんだとトウトツに言った 本音ともつかない乱暴な無茶に、 このような形で戒めてくれたのだ。 「光栄な御縁だね」 と答えたもののオレにはまだ現実的ではなかった。 ルシャナ仏をイマジネーションしたイニシエ人たちが 巨大に写した鋳造に、 華厳のエネルギーを直に感じる七日は 愉しみなことである。 ヒカリ繭のなかに二十三個のヒカリが灯し終わると 「ついに出来上がりましたね。それにしても大きいです」 公穣さんは相変わらずコツゼンと穏やかに微笑んでいた。 燈花会のボランティアたちが灯すロウソクが 点々と拡がって物凄いヒト等が そのヒカリの間を流れて往く。 野人フクノもカーペン兄弟、須田さん、 みんな黙って青い<ヒカリ繭>を眺めていた。 やがてヒカリ繭の周りはヒト等に埋まっていく。 彼等のなかに青いヒカリが揺らいでいたはずだ。 九時、空っぽになった仮設工場。 野人フクノ、ウッカリお茶茶、 カーペン兄弟、須田さん等と 暗がりの中の工場を清掃。 東へ戻るカーペンのワンボックスに、 今回の奈良入りで初めて乗った新幹線に懲り懲りした 須田さんも同乗した。 明日から、村の日常に戻り、 横浜の大工に戻っていく彼等の日常にも 青いヒカリ繭が羽化していくのだ。 繭を紡ぎ終わったオレもちょっとくたびれたが、 猿沢の池の近くで残った野人、御茶々、 スリーピーとショーチュー。 ヒカリ・ハイのまま明け方宿に辿り着く。 |
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2004-08-11-WED
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