クマちゃんからの便り |
盧舎那仏の左掌 七日朝五時に起床。 仏教徒でもなく宗教好きでもないオレは、 いつものように剃髪してから <華厳唯心偈>の写経も済ませていた。 宿泊していた<春日荘>の四階窓から 間近にそびえている興福寺の五重塔を眺めて、 今日もクソ暑くなりそうな空だと覚悟をきめていた。 東大寺の湯屋で身を清め、 渡された白装束に着替え大仏殿にたどり着くと、 二〇〇人ほどの白装束で溢れていた。 蓮華座に上がり、森本公誠別当の声明に合わせて 全員で般若心経を三回読経し、 あらかじめ割り当てられていた左掌によじ登って、 塵を払い箒で掃き落としはじめた。 大仏殿を訪れたヒト等が 世俗から持ち込んだ一年間の塵が、 大仏の身体に積もっていて、 掃いても掃いても上から舞い落ちてくる。 華厳経の盧舎那仏についての偈文に、 ひとつの毛孔のなかに無量の仏の国土が荘厳され 広々と安住しており、ひとつの微塵のなかに 一切の微塵に等しいかずに等しい小さな国土が すべて入っているというめくるめくイメージの描写があり、 <一即一切・一切即一 一切一入・一入一切> そのものである。 まさにその塵を浴びながら、 それでもひたすら掃き落としていると、 噴出す汗にたちまち張付いてしまった白装束は、 すでに塵で真っ黒になっていた。 這いつくばる体位で腰が痛くなった。 左掌班のリーダー公穣住職が見えなくなった隙に、 オレは大仏さんの他の場所に紛れて浮遊歩行した。 かつて溶鉱炉で鉄を溶かし砂型に流し込んでいたオレは、 鋳物のつなぎ目をなぞり<削り型>を積み重ねては 溶かした銅を流し込んだイニシエ人の 膨大なチカラを感じていた。 衣の襞に僅かにみとめられる鍍金の名残りに、 完成当時、太陽の光のはたらきに喩えられる 盧舎那仏の巨大な荘厳を想うのである。 また担当部所に戻り 裏になっている大仏の甲を拭うのだが、 止め処もなく流れ落ちるオレの汗が 腐食の素になってはイケナイから、 左手に持った乾いた雑巾で汗を拭き 右手の雑巾で大仏さんを拭うのである。 この重労働で頭がボーっとなりながらも、 「存在するものは、すべて心のあらわれである」 という華厳唯心偈を繰り返す。 御身拭いも終わりに近づいた一〇時ころ、 「KUMAさん、上まで登ってみますか」 いつのまにかまたもや公穣さんである。 「オレは高所恐怖症だけど・・・」 ともじもじしていたが、大仏の後ろに回り 「あそこから胎内に入って柱の間を登って行くんです」 背中の中程にあいた小さな入り口を指し示す。 「よしっ、いこう」 オレは自分に言い聞かせた。 傍にいた鳶職の親方から安全ベルトを借りて腹に巻き、 公穣さんの後について登り始めた。 薄暗いなかに太い柱が五〇センチほどの間隔で 無数に入りくんで林立している。 それぞれが組み込み式の横木で繋がっていて 所々、カスガイを打ち込んであった。 圧倒的な重量の大仏の鋳型を支えるための智慧だ。 長身の彼は横木に足をかけて スイスイと登っていくのだが、 コンパクトな長さの脚で 全身を使ってよじ登るオレは芋虫状態で 追いつくのが大変である。 「ここが頭頂です」 上から声に見上げると、 ポッカリと丸く外界の明かりが見えた。 辿りついた。 安全ベルトを縁のワイヤーにつなぎ 螺髪につかまって身を乗り出してみた。 つかの間、頭蓋内がクリアーになった。 誰もが自分の世界を自分で創りあげ生きる存在だと 華厳では言っている、 ならばオレ等のひとりひとりが それぞれの世界の創造者ではないのか。 自分の会社や国や国際社会なぞまでもが 自分とは関係なく厳然と存在しているシステムに従って 生きてると思い込んで、絶望したりする。 自分の世界をもっと美しい生でデザインしながら 往ける処まで生きたいモノだなぞと つかの間、哲学してみる盧舎那仏の頭頂であった。 東大寺の付属施設<整肢苑>の子供等に贈る ヒカリのオブジェがぼんやりと降りてきた。 |
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2004-08-13-FRI
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