クマちゃんからの便り |
颱風浮遊 稲妻、土砂降り、雷鳴…。 このところ夕方になれば天空が騒がしい。 大きな樹木が根こそぎ倒され、トラックは横倒し、 屋根を飛ばされ、傘と繋がったヒトも空を飛ぶ。 各地で観測史上初めての風速を記録していた。 今度の颱風は、ついにフルートを響かせた島の風景まで オレの処まで飛ばしたのだ。 NHKのニュースで瀬戸内の大崎上島を観た。 スクラップ鉄をゲージツしはじめたばかりのオレが、 一五年前にはじめて天をつくオブジェ<天の鳥舟>を 大崎上島で創っていた。 かって造船で栄えた島は、 安い韓国の造船に押されて 三社だけが残って細々と操業していた。 巨大な三次曲面をおこし三分割した設計図を 三社に配りそれぞれを制作してもらい、 オレは三つの造船場を自転車で走り回った。 北の造船所から順番に台船で巡り、 完成した部分を積み込みながら 設置場所のフェリー乗り場まで海路運んだのである。 大型ラフター三台で吊り上げ組み上げていった。 造船の技術は大したものだった。 寸分違わないボルト孔を、 古事記からイメージした<天の鳥舟>を 鳶の男等がボルトナットで次々と立ち上げていった。 底にはオレが溶接して造った 直径二メートルのスクリューを取り付けた。 赤ん坊のチカラでも回り 回るたびにドーム内に大小の鐘が 鳴り響くる仕掛けである。 普段は颱風の直撃などもなく 温暖で長閑な瀬戸内の小島だ。 旋回する上空からの映像は、 貨物船が舳先が集落を喰いちぎるように 真ん中を目掛け突っ込んでいるではないか。 南側の造船所からフェリー乗り場に向かう海に面し、 オレがよく自転車で登った大曲の坂の途中である。 <天の鳥舟>の頂上に いつか鳴る鉄パイプを東西南北に向け取り付けておいた。 激突は颱風のなか船長の居眠りだったらしい。 はじめて鳴ったオレが作ったフルートの音が 彼の眠りを誘ったのか。 東京にも襲っていた颱風の余波のなか事務所に向かう。 番組制作会社<フォーティズ>の小林氏が 部下のディレクターやADを引き連れて来た。 一〇月に西伊豆で開催される <カワハギ釣り大会>にオレをエントリーして 番組にしたいという。 一九八五年、モンゴル草原に遠征して <天外天風>を制作したオレのゲージツ行に密着して、 一時間のドキュメント番組に作り上げたのが、 彼がまだ四、五人で立ち上げたばかりの <フォーティーズ>だった。 お互いゼニは十全ではなかった。 国境を越えるトラックを止めて、 安く買ったスクラップ鉄で創って 遙かな草原にまで運んだ。 なだらかな草原の窪みに野糞を済ませ ホッとしてウッカリ立ち上がると、 三六〇度見渡す限りの草の海に呑み込まれ 圧倒的な草の浪に帰路を見失ってしまうのだ。 今まで七つの海で溺れてきた泳げないオレには、 太陽の位置と風の方向を記憶させるスキンヘッドが <天外天風>に導いてくれたのだった。 草の間から湧き出すように現れる モンゴルの子供等が持ってくる湧かした茶で、 暑さを凌いでいた。 ニッポンから連れて行った手下どもが過酷な暑さに負け、 いい加減なミネラル水や馬乳酒にやられ 次々とA型肝炎に倒れるわ、 撮影クルーも蜂に襲われるわで散々だったが、 オレはポケットに忍ばせた辺境の中国人に貰った 強烈なニンニクを囓り、あやぶい溶接機を駆使して 何とか遊牧の道しるべを仕上げたものだった。 「あれから十五年か、 もう<フィフティーズ>じゃないか」 ちょっと憎まれ口を言い 「天外天風はどうなったかなぁ」 忘れていたことを聞いてみた。 「今はもう、形さえ残ってないかも知れない」 小林氏は苦笑いした。 「いくら酸化しても土に戻るのは…まだだろうや」 「北京オリンピックにむけてスクラップが高騰して、 アレも大地から生えたイイ収穫物と考える連中に 売り払われているかもしれない」 と小林のコトバがタバコの煙になった。 「マ、役目を終わりそれもイイか…」。 今年はいつもより強烈な颱風が多く 上陸して海になかなか行けない。 飛ばしすぎのゲージツをクールダウンするつもりで、 利根川沿いに浮遊していると南から突風が吹き始めた。 広大な田圃の果てに見えていた利根川も 浪立ち黒っぽい流れになり、 分厚い汚れた灰色の雲が寄せ集まり 太陽をたちまち隠した。 こんなところで雨宿りはないかと見回すと、 大きなプレハブ風の なかで男がウナギを捌いていた。 有名な<板東太郎>は利根川の水と川の小魚なぞで 天然に近づけた養殖ウナギらしいが、 「利根川で朝獲ってきた天然ウナギだっぺ」 彼の尻上がりの語尾は誇らしげだった。 「そのいま捌いているのを焼いてくれよ」 家に上がり込んで、 出された天然の肝焼きを喰いながら待っていた。 『この肝なら美味いはずだ』。 その辺りをボンヤリ明るくしていた雲から、 天水が激しく落ち始め景色を隠し、 丼からはみ出した大きな分厚いウナギ丼が出てきた。 東京では二倍はするだろうウナギは オレ好みのプリミティブを愉しみながら、 東大寺・整肢園の小さな生命の一員たちに贈る <ヒカリ>の構造を思案していた。 |
クマさんへの激励や感想などを、
メールの表題に「クマさんへ」と書いて
postman@1101.comに送ろう。
2004-09-10-FRI
戻る |