クマちゃんからの便り

山から海へ


甲斐嶽の麓に独り籠もっていた。
ちょうど村は武川米の収穫真っ最中で、
だれひとり訪ねてくるヒトもいないが、
牟礼の石工に紹介された研磨屋から<切削機>が届いた。

手元でコンプレッサーの空気量や
切削刃に当てる水量を調整できるように、
自分でデザインして特注したものだった。
始めたら長ジカンになるオレのシゴトにも
耐えられる使い勝手にした。
水を撥ねながら硬い硝子を自在に切り込んでいく。
ハンドルといい、大きさといい、
掌に馴染む操作で暗くなるまで続く。
ベクトルへの方法を手に入れることがゲージツなのだ。



神保町の古本屋で手に入れた
すでに絶版になっていた全集を読み始める。
読むほどに分厚さが増すようだ。
一滴の滴に宿す大宇宙や、
永遠のジカンを凝縮する一瞬のヒカリに
世界のイメージに目眩しながら夢に浮遊して朝になる。
なんの力みもなくただひたすらのこのジカンは
オレの信仰なのだろう。
喋ることもなく蟄居のゲージツの一〇日が過ぎていた。

迎えに来たカーペンの車で外房に向かう。
久しぶりの海である。
ハナダイやメバルの数釣りにはすぐに飽きた。

「いっそのこと東伊豆に行きますか」

伊豆半島への釣行ははじめてだった。
過ぎていく名も知れぬ海岸に、
今は酸化して土に往きつつある
廃線になった停車場の給水塔が見えて、
すぐに緑に隠れた。
また現れる膨らみ凹むを繰り返す波頭から、
大量のフナムシを載せて現れる打ち捨てられた舳先。
最後の主も失ったらしい小屋の千切れた漁網。
山の景色から久しぶりに入っていく海の風景に
眼を浮遊させて、
ムカシのままの姿で朽ちていくモノの
薄笑いしたような貌を眺めていた。

緑が繁った細い道を往くと、
入り江に何艘かの舟が繋留している
伊東の小さな漁港である。

江戸時代には徳川献上のボラを捕っていたという。

「ノンビリやりますか」

船長はオレと同じような年格好だ。
釣り人はオレとカーペンだけだった。
マダイを狙うことにした。
ムカシから避暑地だったらしい海岸の景色は
確かに千葉と違って緑が多い。
テレビのサスペンスドラマなぞのラストシーンで、
犯人が自白して海に飛び込む釣り橋や白い灯台が見えた。

ドラグの調整をしようとしていたが、
ロッドが大きくしなって海に刺さった。
すぐにハンドルを巻き始めた。
何度も引き込まれ
五メートルも巻いたところで軽くなった。
山でのゲージツで慎重な操作も
久しぶりの海でウカツだった。
ラインが切られ逃げられてしまったのだ。

白いハエの卵を散らしたような別荘がある
伊豆高原あたりが黒雲に覆われた。
合羽も持たずに乗り込んだことに気づいたが
すぐに夕立になる。
濡れながら細いハリスを小さな鈎に巻くのも
老眼には大変だが、
気を取り直し指先の感触だけで作った

新しい仕掛けを慎重に次の投入。
頬被りして待っているとまたマダイの信号だ。
ドラグを効かせて今度はうまく取り込めた。

ご褒美の大きな虹が架かった。
その後は二枚あげたが潮もピタリと止まった。

「夕方五時に半夜でイカ釣りでもしましょうや」

船長独特の仕掛けを教えてくれた。
オレは独り船縁に座って、
ノンビリと道具箱を脇に置いて
教わったように自分で作る。
落ちている魚を突いくカラスどものイサカイが喧しいが、
地面に踏ん張る山での信仰のようなゲージツとは違い、
浪間に揺られながら不自由な眼で仕掛けを作るジカンは
まるで、シシリー島のシャッカの老漁夫レオナルドと
小舟で出た地中海に漂っているようで、
いま世界が終わったところで構わないような
平安な気分だった。

半月の暗い海に自分で作ったイカ仕掛けを落とす。
初めてにしてはいい釣果だった。
車に寝泊まりしながら外房から東伊豆までの
三泊四日の釣行を終えて、
いよいよまた石切場での荒行のようなゲージツになる。



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2004-09-26-SUN
KUMA
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