クマちゃんからの便り |
天変にあそぶ 朝八時から石を打ちはじめ、 休みなく硝子を磨き気がつけば、毎日夜中の十二時だ。 今日でもう五日目になる。 東大寺・整肢園へのオブジェ<風しるべ>に入れる <ルシャナのいつくしみ>の書が森本住職から届いた。 削りだした<虹しるべ>に嵌める 大きなプリズムの研磨もやっと仕上がった。 曇った空からつかの間差し込むヒカリに当てると、 五剣山に繋がる棚田の石垣に大きな虹が現れ 咲き始めた彼岸花が、 いっせいに七色に染まったような気がした。 通りかかった親子が地面の虹を見つけて立ち止まる。 太陽が雲間に隠れ虹が消えて不思議がる子供。 「このヒカリを<風しるべ>に当てるんだよ!」。 「今、思いついたんですか?」 「東大寺の整肢園に行ったときに すでにこの考えが出来ていたんだ」 嬉しそうなヨシも 「うどんでも喰いに行きますか」 カバンの中からオレのハイライトを出して言う。 『うまくいったワイ…』 タバコもうまい。 床下浸水の前回に続いて、 近づく今度の颱風はまた高松を狙っているようだ。 「今晩は消防団の招集がかかりそうです」 ヨシはまだ残っているオレのシゴトを 心配しているようだ。 「あとはオレ一人で大丈夫だ。いつでも行けよ」 それでも石工の書生として見届けたいようだった。 うどん屋から出たら、五剣山を呑み込んだ 真っ黒い雲の縁が慌ただしく蠢いていた。 「ワクワクしてくるなぁ」 ゲージツの高まりに天変の予感が重なって、 低気圧と共にオレの身体はヒートアップしていた。 はたしていよいよ風雨が強まり、 脇の遍路道も小川になっていた。 カリンもイチジクも大揺れで、 五時になるとシャッターを裏から支えるように トラックやパワーショベルを止めて、 職人等は帰ってしまった。 事務所と工場を往き来出来ないくらいに 横殴りの雨になり、 誰もいなくなった広い工場にヨシと二人残って オレのシゴトはまだまだ続く。 もし緊急が掛かるとしたら九時ごろで、 そうなれば満潮の十一時過ぎまで見回りして、 分署で待機しなけりゃならないらしい。 満潮と高潮が重なった前回は、 川が決壊してたちまち床下浸水に寝たきりの 独り住まいのジィさんをヨシが救助したという。 颱風通過時間と満潮が重なる今回も 充分危険信号である。 トラバーチンの粉末まみれで、 目尻や顔の皺に沿ってひび割れた 田舎芝居の役者みたいになった顔を 見合わせて吹き出した。 すでに風雨が工場を襲う音は、 オレが発するコンプレッサーの打撃音を越えていた。 こんな天変は久しぶりだった。 『オレも名誉分団長だ』 と無事通過を願う半面、 暴風雨のなかゲージツにひたすらピッチをあげる 内心の部分では、 天変に土嚢を運ぶ最悪も期待しているオレがいた。 石子で曇っている工場の硝子が紅く点滅していた。 警察の警報灯である。 「やったのか」 「そんなヒマなぞなかったじゃないですか」 「こんな嵐の夜は、とんでもない凶悪も舞い込むものだ」 とオレは削岩機を機関銃のように身構えた。 懐中電灯を先頭にズブ濡れの 白いヘルメットに黄色い制服が三人入ってきた。 「まだやっていたんかい」 マツヤマさんが微笑んでいる。 カン助がいる。 字彫り屋もいた。 みんな牟礼消防団第三分署の面々である。 九時に緊急招集が掛かっていたらしい。 大時計はすでに十時半だった。電話連 絡に気づかなかった消防団員のヨシは、 しきりに恐縮していた。 「オブジェ間に合うんかい。こっちは大丈夫だから、 シゴトを続けてよ」 班長のマツヤマさんはオレのゲージツを気遣ってくれた。 潮も思ったほど上がってないらしい。 「十一時には分署へ行きます」 ヨシは敬礼をして見送った。 普段では信じられない速度で <虹しるべ>がほとんど出来上がっていた。 ヨシの軽トラで分署に駆けつけると、 消防車の周りには団員がたむろしていて、 見回りから戻った者がカップラーメンを喰っている。 「遅くなりました」 オレは団長の八百屋のハツちゃんに挨拶をした。 「こんな遅くまでご苦労さん。 腹空いたろう、ラーメンでも喰ってよ」 いつものようにニコニコと逆に気遣ってくれた。 小さな町だからみんなオレが毎日朝から遅くまで 石に向かっているのを知っているのだ。 石工の関係が多い団員等と雑談をしていると、 風も止み雨も小降りになっていた。 どうやら半分の願いの方が克って、進路が変わったらしい。 「了解しました。こちらは全員で二十三名」 ハツちゃんがいつになく真剣な団長顔で 無線交信している。 整列した全員に 「キヲツケ、カシラーナカッ!」 副団長の号令、 「十一時警報解除! カイサン」 団長の声に敬礼、 解散になり土嚢運びは無しになった。 アッという間にみんな家路についた。 「お前のカミさんはまだヨン様を観ている時間だろ、 高松港の潮位でも見にいくかい」 「イイですね」 昨夜の夜中に工場からドヤドヤと戻ると、 DVDを観ていたカミさんに 「独りの時間に浸っているのに」 と小言を言われたばかりだった。 軽トラは颱風で戒厳令のようになった高松市内を走りぬけ 港に向かった。 それにしてもヨンサマは凄い。 「東京の知り合いの四十過ぎになる夫婦で、 ヨン様カットとやらにしている亭主の間抜け面でも、 追っかけをやるほど重いヨンサマ病を患ったカカァには 癒しになるらしいんだと」 と言うと、 「なんとぉ」 ヨシは呆れ顔だ。しかし、こんな小さな石工の町にまで 蔓延しているとはウッカリ出来ない。 「ヨシは大丈夫か」 「冗談じゃないですよ。僕の頭は僕のモノです」 短髪の職人らしい彼はきっぱりと言う。 あれほどの威力を振りまわした颱風の海は わずかに膨らむばかりで、ほとんど湖のようだった。 この天変に神を擬人化するのだろう。 いよいよ残りの<風しるべ>の仕上げである。 |
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2004-10-06-WED
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