クマちゃんからの便り

日想観


<整肢園>に虹しるべを設置し終われば、
雨もあがって西の空は真っ赤になった。
今日は親たちが迎えにきて月に一度の外泊日で、
園内はいつもより閑かだった。
事情があって迎えのない幾人かの子等は、車椅子のまま、
ヨシとオレがオブジェを設置する様子を眺めていた。

牟礼の石切場では五〇メートル先の畦道に
照射した約束したあの虹を、
彼等の寂しげな眼に今なんとか見せたかったが、
プリズムが分光するにはすでにヒカリは弱弱しかった。

今日がダメでも

『雨や曇りばかりではないんだ…』

運動会がある九日はきっと美しい虹が
ゆっくりと校舎を走るはずだ。
立ち会っていた森本公穣住職が

「明日、園に戻ってくる子供たちが驚きますよ、
 ありがとうございます」

とオレの心を読むように労いを言う。

「あのバカでかい松の樹は、きっとヒカリを遮るだろなぁ」

オレは東を指差して南大門屋根辺りから上がる
朝日の軌道を想像しながら無茶なコトを提案してみた。

「あっ、アレは切ろうと思っていたんです」

「そりゃあよかった、ヒカリが十全に入る」

もう一体の<風しるべ>を建てる。
ヨシがユニックで手際よく、
薄く削ったカンカン石を仕込んだ<風しるべ>の
先端部を吊りゆっくり立ち上げる。
オレが速度に合わせ人差し指で押し上げているように
指を立てると、公穣氏が

「それではワタシは法力で」

と両掌をかざし戯ける。子供等はそれを見て笑う。






またヨシが運転する八トントラックに乗って
牟礼の石切場に戻り、
次のオブジェの制作にはいる予定だった。
「ちょうど今夜は興福寺で年に一度の
 <塔影能>があるんです。観ていきませんか」

とのお誘いだ。いつもの飛鳥荘に一泊することにした。
雨になったらホールに場所を移すらしいが、
能の速度をした雲は地球の自転速度だった。
森本公穣氏に東金堂の前庭の舞台へ案内され
<弱法師>を観る。
はじめて観た本格的な能舞台に耳を凝らすが、
オレの鼓膜一つでは野外でのひとつひとつの
コトバを聴き取れないし、
パンフレットを見たところで文字も判読出来ないでいた。

「ヨシ、これを読んでオレに聞かせろ」

閑かなジカンのなか、
オレの耳元に小声で読んでくれるのだが、
彼は鼓膜の無い側の席だったからもう絶望である。

「もうイイよ」

それでもラストちかくで、
親との不縁に泣きすぎて盲目になっていた
俊徳丸<弱法師>に、
父が今は日想観の時刻だと知らせると、

『日想観なれば曇りも波の、
 淡路・絵島・須磨・明石、紀の海までも
 見えたり見えたり。満願青山は心にあり』

の地唄を聴き取れただけでもヨカッタわい。

牟礼から続くゲージツ行の筋肉痛で、
朝、起きあがるのに壁づたいでの大シゴトだった。
またもどんよりした空模様。

近くで古くからやっている刃物屋のウィンドウに
彫刻刀を見つけて六本買った。
かねてから木版画をやってみたかったから、
これも何かの縁である。
オレはきっと<日想観>で板も彫るのだろう。
進化することもなく、
ただ往ける処まで行くだけのゲージツ行。
三時間かかってトラックで牟礼に戻った。
明日も石を削る。

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2004-10-07-THU
KUMA
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