クマちゃんからの便り

球根と太刀


温暖の海に発生しては襲来する台風は、
ことごとくニッポンに命中する。
植えた二本の無花果の苗木一本は枯れ
ハナミズキの葉っぱも黄色くなり、
虫もカラスさえも鳴かない武川村も
すっかり秋になっていた。

今年の春から牟礼に通って制作をはじめた
中央病院の巨大オブジェも、着々と進んで
暮れの設置にむけて仕上げの段階になった。
しかし年に一度の祭りの準備に入った石の町牟礼は、
石工のヨシさえ浮き足立ってシゴトにならない。
祭りはその土地のヒトにとっては、
ゲージツと同量のエネルギーだろうから、
浮遊人のオレは一旦、山梨に戻ることにしたのだった。



FACTORYに転がっているシナ合板の端材に、
頭蓋内を彫刻刀で刻み込みはじめた。
しずかな空気の中にサクサクと木を刻む音が心地いい。
筆で直接紙に描く絵と違って、
彫刻刀を絵筆にして木に刻みこみ、
紙に移し取るという古臭いメディアのような
木版画なのだが、木を刻み込んでいく刃先の感触は
自分の指先が拡張していくようだった。
銅版画や他の版画のようにゼニがかからないのが何よりだ。

鉄といい、硝子といい、石といい、
ただひたすら肉体と物質とのプリミッティブな抗いが、
オレの生存理由にはぴったしくるのだろう。
彫刻刀と木との摩擦係数を
指先がインプットしている段階なのだが、
硝子や石を削るためにオレが工夫した機器や
いろいろな道具さえも、
やがて版木を刻み込む速度をもった刀になるはずだ。
四畳半大、十畳大の木版画だっていけるだろう。

NHKの釣り番組のロケで
西伊豆半島へカワハギ釣りに出掛けた。
カワハギ釣りは攻撃的な忙しい釣りである。
ハイビジョンでの放映日は十一月二十三日。
釣り具メーカーの提灯番組と違って、
面白い釣り番組になったと思う。

終了後、ロケ隊と別れて隣の小さな漁港へ向かったが、
相次ぐ台風で伊豆半島のあっちこちが寸断され、
普段なら二、三十分の距離を大回りして二時間かかった。

入り江の正面に盛大な富士山が
シルエットになっている小屋の前に
座り込んだ老婆がひとり、
植木鉢をいじっている静かな漁村だった。
「まだ戻ってないだよ」
甲州弁に似た背中越しの言葉だ。
目当ての船は昼間の釣り客を乗せて
まだ戻ってないらしい。
老婆は鉢を並べて球根を選別していた。
太刀魚の夜釣りまで船宿の二階にあがって
昼寝をしていた。
ロケの疲れもあって毛布の暖かさに同化していった。

「オレにもひとつふたつ分けてくれよ」

「そこのを持ってけ」

「野水仙なんだろうな」

「分かんねぇだ」

老婆たちの賑やかなおしゃべりで眼を覚ます。

「野水仙をくりょう」

「だから植えてみなきゃオレにも分ねぇだよ」

投げやりな会話に聞こえるのは海コトバの特徴だが、
山国の甲州弁に似て喧嘩しているわけではない。

二階から見下ろすと、
さっきと同じ格好で座ったままの地面色した老婆の脇で、
苔色のセーターの老婆が張り付いて
球根の根をゴツイ掌で整えている。
春になれば芽が出て何の花だか分かるから、
とにかく植えてみろと言う地面婆ァは、
やたらと花を咲かせるのが好きらしいが、
どの球根がどの花を咲かせたのかは忘れてしまうのだ。
苔婆ァは、野水仙だけが欲しいと譲らない。




たっぷりとした夕暮れに富士山が溶け込む頃、
球根婆ァのまわりにどこからともなく
老婆ァたちが数人湧いてきた。
野水仙を植える老婆等の行いは、
花を愛でてるというより、
生命の小さなカタマリを
これから迎える冬の季節の前に温かい土に包んで、
己の再生物語を願う信仰にちかいのかもしれない。

「そろそろ行くけぇ」

船長が叫んでいた。

「今、行くから」

身支度して船に乗り込んだが、夜釣りにはもう肌寒い。
台風23号はこっちに向かっているらしいが
まだ静かな魚場に着くと、
職漁師の船がすでにライトを灯し
数十艘、錨を降ろして操業していた。

短冊に切った冷凍サバが餌だ。
初めてのい太刀魚釣りを船長に教わるのだが、
漁師コトバはなかなか解読困難だったが、
それでもコツがだんだん飲み込めてきた。

リールを秒速十センチほどで巻いていると、
わずかな重みを感じる。
鋭い歯で短冊サバの端を咥えた太刀魚が
ぶら下がっているのだろう。
分かり易い喰いの時なら
この後すぐにガツガツッと来るらしいのだが、
今宵はここからが肝心だった。

短冊が千切れてしまわないように、
鉤まで喰わせるまで気長なやり取りが微妙で面白い。
一分以上かかって、リールを止めたり
秒速五センチで巻いて喰いを促したりしながら
ガツッカツッガツッと来る鉤まで喰わせるのである。

魚体をアルミホイルで覆って
安っぽく光る模擬刀が暗い海から向かってきた。
船上に上がっても刀身をくねらせてオレを狙う。

太刀魚とはよく言ったものだ。
ゲージツ家は見えない生命とのやり取りに
夢中になって三時間ほど楽しんだ。
二十本の幅広の刀狩りだった。



台風23号が九州に近づいていた。
祭りも終わった牟礼の石切り場に戻って、
石をまた削るのだ。

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2004-10-24-SUN
KUMA
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