クマちゃんからの便り

手のジダイ


もう数年前になるが、武川FACTORYに自分で設計して
一年かけて建てたサイバー・キルン(溶解炉)の
非日常温度1200℃から、
500kgのヒカリのカタマリを
生還させたまではよかった。
しかし、それを自在に刻む段になって
途方に暮れたことが今は懐かしい。

人づてで四国の牟礼にたどり着き、
圧搾空気で稼動する削岩機や、
回転するダイヤモンドの刃で
巨大な石をも切削する若い石工たちと懇意になり、
打ち面がタンガロイのビシャン・ハンマーの
手元を眺めていた。

タンガロイというのは炭化タングステンと
コバルトの焼結合金で
ダイヤモンドに次ぐ高度をもっている物質である。

『これをアレンジした道具を作れば
 ヒカリの加工も容易になるはずだ』

と思って石の道具を硝子仕様に工夫したのだった。

そんなオレに呆れながらも石工は、
来る日も来る日も、幾億年の地中で生成した闇をもって
地上に現われた石で<死者の家>を作り続けている。
彼らの作った墓石が今日もトラックでどこかの
<死者>の方向へ出ていく。

傍らでは毎日毎日、太陽のヒカリを宿す硝子を
ゲージツしていたオレも、今年になって石工につられて
石を刻みはじめていた。

今までの人生でうっすらと気付いてはいたが、
どうやらオレは厄介な方の路を選んでしまう質なのだ。

闇のカタマリである石と、
ヒカリの物質の石切り場での出会いに
ただひたすら筋肉を駆使するオレの頭蓋内では、
<善財童子>が求道の旅を続けていた。

オレのゲージツ行は、
足ではなく距離を手で掴みとる荒ゴトなのだ。
<主観>の最たるモノが《生》なのだろうし、
《死》は客観の極大なモノなのだろう。
オレの<ヒカリの器>は今日も形を変えながら
ジカンを宿すのである。

讃岐人はウドンという炭水化物を日常的に喰い、
石工たちも朝昼晩三食ウドンでいいと言う。
労働者の短い休憩で腹を満たすには
確かに便利な食い物だが、オレはもう飽きた。
ヨシのオカンが届けてくれる朝食にしている。
オレの滞在中はヨシも同じ朝飯だ。
ニギリメシ六個に炒めた魚肉ソーセージが載った大皿に
ラップがかかっている。
商売繁盛で奉ってある神棚の
<仙台太郎>に一個上げてから、
茶を入れ奇数をはさんで
シゴトにかかる前の朝食になる。

「オヤカタ、今晩は焼き肉でもどうですか」

ヨシが気遣う。

「オレには<肉屋と銀行>は無縁だ。
 ヨシ、一人二個づつだぞ」。

オレが二個目に手を伸ばすと
二個目を喰い終わったヨシは手をモジモジと膝に戻す。

「オレが教わる時はお前が親方だけど、
 今のお前は書生なんだ」

この一個は夕方までに腹が減って
どうにも我慢が切れた時の緊急用なのだ。

フラフラしてきたオレが事務所に飛び込んだ時は、
西日に光る大皿にハエが揉み手していた。

「ヨシが先だったか」

直径七〇センチの大理石の球体が
石切り場で赤く輝いていた。

「宛がってみようぜ」

クレーンで吊り上げるあいだにオレは、
球体の嵌まる孔に滑り込み横たわると、
一トンちかい冷えた球体が空腹の腹を
ゆっくりと圧迫していき、
間もなく完成する<SWEET ENERGY>と
石とオレとの境目がなくなっていった。

「今晩は高松に出てオコゼで魚の煮付けでも喰って、
 ショーチューを呑むかい」

これが終わればまた新しいオレの
<手の時代>がはじまり続いていく。

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2004-11-25-FRI
KUMA
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