クマちゃんからの便り

目蓋を削る




石切場で積み込む前に地面に並べてみた石の集積が、
六〇〇kmを運ばれてガラーンとした
まだ何もない中央病院の工事現場に着いた。
石工のヨシ兄弟と山梨の若い鳶の衆とで、
設置作業が順調にすすんだ。

一個づつ積み上げて二日目には、
十三トンの<SWEET ENERGY>が立ち上がる。
彼らが巨大な構築物にアンカーボルトを打ち込むあいだ、
細かい仕上げの手順を考えていたオレの頭蓋空間に
有機的なトラバーチンのカタマリが増殖しはじめた。

「仕上げ作業は年明け早々になるんだけど、
 どうしてもあと一トンばかりのカタマリを
 追加したくなった。
 四国の石切場に戻って創ってくるわい」

往き来するうつむき加減の人等に、
ヒカリを宿したSWEET・ENERGYを放つのは
三月からである。

ジカンはまだある。

「心ゆくまでやってください。
 なんでもフォローしますから」

玉村所長は有り難い味方である。

パーツが立ち上がっていく
底冷えするエキサイティングな工事現場では、
膝や筋肉の痛みも忘れていた。

しかし、一年間続いた三次元を刻むという
石とのバトルを一段落させ、
暮れになって大きな版画のプレス機を購入したのだった。
残すゼニなぞはないが、
宵越の体力は残さないのだ。
オレの生きて逝くスタイルがゲージツなのである。

年の瀬にきてまた厄介な道を選んでしまったのだった。

ヨシ兄弟の車でFACTORYに落としてもらい

「またすぐにお邪魔して創ることになっちまったけど、
 イイ年をな・・・」。

彼らは六時間かけて四国に帰っていった。
また独りに戻って、ガラスのカタマリを
コンプレッサーで削岩していた。
ゴーグルをはめるのも忘れて、
自分で工夫した削岩道具の切れ味を
衝動的に試してみたくなったのだ。
ガラスの破片が飛んで左の瞼を襲った。
目玉のわずか二センチ上だった。
自分で応急処置をして、
今度は版画部屋の模様替えをはじめていた。

『チキショー! 痛ぇじゃないか』

やっぱり少しくたびれていた。
三×六判の大きなコンパネの版木を敷いて、
木のぬくもりの上に横になる。

木に刻みつけた版にインクを載せ紙に転写する版画には、
紙に直接尖らせた鉛で闇を塗り重ねていた頃とは違う
何かあるような気がする。
三次元へ四次元へと彫り込んでいくのである。
また体力なぞを消費しながら
エキサイトしていくのだろうなぁ。
防寒着を着たまま眠くなっていた。

オレのゲージツにシーズンオフはないから、
クリスマスも正月もない。
いつからかオレは日付なぞというモノを
必要としなくなっていたのだ。

『そうだ、海に往こう』

これとて早朝から昼まで釣り、
午後からまた船に乗り込んでは釣り、
船宿で翌日の仕掛けを作って眠らないを
三ッ日間続けるの荒行のようなオレの釣行である。
身体にイイわけはない。

「なにが哀しくてそんな無茶をするのか」

と、釣り仲間も呆れて一人減り、
二人去りでついに誰もつき合ってくれなくなった。

ボクシングの後のようになっていた左目の瞼を、
ハンチングを目深に隠してアズサに乗り込んだ。

「どうかしたのですか」

顔見知りの車掌がニヤリとした。

「隕石が落ちてきてよ」

と馬鹿な返事をしたものの、
彼には狼藉者にしか見えなかったのだろう。

確かにあのとき目の前が光った。

つかの間のジカンにも、独眼でオレは釣行する。
きっと海に漂うのも
ゲージツ・ジカンに似た魔力があるのだ。

みなさんにおかれても、イイ年を・・・。

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2004-12-27-MON
KUMA
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