クマちゃんからの便り |
水の記憶と三角のシルエット 晴れ渡った暮れの空に、雪もなくそびえている <日本一>の富士の山も 膨張する消費の果ての粗大ゴミを抱え込んでいるカドで <世界遺産>の指定から外されているらしい。 伊豆半島での初めての釣りで、 いつも見ている山梨から真反対の富士山を眺めていた。 <世界遺産>なぞはどうでもイイが、 このままゴミの巨大なオブジェに 仕上がってしまうのが先か、 天変の復讐で威風を取り戻す方が先になってしまうのか。 大きな三角形のシルエットが収まった入江のど真ん中で、 打ち寄せる白い波を砕く離岸堤が、 ひっそりした漁村へ沸きたつ海が浸入するのを防いでいる。 ぼやけた赤い円錐を咲かせたアロエが群生する 船着き場に、マストに正月飾りをはためかせた 小さな漁船が数隻繋がれた景色は、 絵葉書に切り取られたようだ。 アディダスのフリースを着た 若船長の船飾りはまだだった。 「今年の海はどうかしてる、 水温がまだ二〇℃ちかいんだ。 今夜中に風が止めばいいんだけど」 コマセがこびり付いた甲板を 自棄気味にタワシでこすっている。 漁網が絡まったまま風化した傷だらけの板切れが落ちていた。 水の記憶を含んだ赤いペンキの剥げ具合いが、 オレの気を惹く。 湿っぽいコタツにはいって、 古本屋で見つけた<マルドロールの歌>を読む。 若船長が 「明日は雪になりそうだよ」 フリースの雨露を払いながら呟いたとおり、 夕方から時雨れてついにタチウオの夜釣りは中止。 とうとう西風までが吹き出し窓を激しく鳴らす。 コタツの上に出した板切れに、 逆手に握った魚の血抜きに使うナイフで傷をつけていく。 このまま船宿で新年を迎えても悪くないと思った。 ラクダや羊やゴマアザラシの背中さえ 書斎机にしてきたオレには、 絶望的だが凪ぐのを待つコタツが、 贅沢過ぎるFACTORYになった。 板切れの上に千切ったノートを載せてクレヨンや、 鉛筆で激しくプレスすると、 風化した木目や編み目に エロティックな陰刻が浮き出してきた。 たちまちノートが半分ほどの厚さになった。 目を覚ますと五時半、冷え込んでいたが風は止んでいた。 しかも入江の向こうに富士山が 真っ白く輝いているではないか。 コタツにオレが埋もれている間に、 秋を殺しゴミも隠蔽した雪が 富士山を眩しく変身させていた。 やっぱり<日本一>美しい三角形である。 船は入江を少し出たところを流しながら、 真鯛のアタリを待つ。こんな大きなうねりの海から、 午前中の早いうちに三枚獲ったのは奇跡である。 もう仕掛けに餌をつけずにただ富士山を見て漂っていたら、 死んだ父親をフッと思い出す。 オレが十七歳で家を出たまま、 意地を張って三十数年会うこともなく、 臨終に駆けつけたとき彼はすでに 植物になっていたのだった。 コトバを交わすことがなく逝ってしまった。 かたわらで母親が 「富士を見たら心のなかで掌を合わせるだけでイイ。 墓参りをしたことにしてやる」 と父親の言伝をおしえてくれた。 月賦で買ったという彼の墓は富士のこっち側にあった。 『来年は十三回忌になるのか』 あのとき反面教師としての父親は、 オレがオレであることへの旅立ちを 黙認してくれたのだろう。 久しぶりに合掌して、昨夜、船宿のコタツのうえで すでに始まっていたオレの 新しいゲージツへの旅を確認した。 富士山をグルリと回って山梨に戻ると、 FACTORYは雪に埋まっていた。 「あけましておめでとうございます」 雪を掻き分けて宅急便屋が、 暮れに頼んでおいた大量の版画用紙を届けにきた。 |
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2005-01-09-SUN
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