クマちゃんからの便り

ヒカリの航海日誌


はじめて訪れた小さな漁村で
午後の再出船の時間を待ちながら、
港近くの漁業組合の店を探して、
飲料水のほかに袋詰めで安くなっている鈎や、
ラインなど小物類を買う。
街の釣具店より安くなっているので、
狙った魚を獲る仕掛けを自分で作るオレにはありがたい。

奥の棚にはスクリューや、海底探査機や、
メーターや、オートジャイロの磁石、ロープ、
網類だの職漁師用の漁具類が、雑然と溢れている。
思い掛けない海のメモリーに
出会ったりするのが楽しみで、
使うこともない真鍮で出来たキャビン用の丸窓を
一個だけ買ったこともある。

五、六年前、極北の何処が入江やら海やらが
区別がつかないほどに流氷で埋まった、
アザラシ狩りたちの村を訪れたことがある。

そんなへんぴな処でも苔色のペンキを分厚く塗った
小さな漁具屋があって、地域の百貨店であり
情報交換や社交の場になっているらしく、
漁具のほかにタバコや乾し肉や、
菓子、缶詰、アルコールの類まで売っていた。

露天掘りの石油掘りが着る極寒の作業服は、
今でも山梨FACTORYで
冬の必需品になっている掘り出し物だった。

<俺達はきよらかな光の発見に心ざす身ではないのか。
 ―季節の上に死滅する人々から遠くはなれて。>

表紙裏に下手なペン字の書き込みしてある
<公式航海日誌>は、
今一番気に入りのアイデア・ノートだ。
いつ、何処の港で手に入れたモノか思い出せないが、
読まなくなった本を詰めた段ボール箱の底から
発掘したものだ。アングラのジダイに
心秘かに口ずさんだアルチュール・ランボーの
「地獄の季節」の一節だし、確かにオレの筆跡だ。
緯度、経度、風力、羅針針路、気圧、波浪など
航海に必要な数値を書き込むようになっている
罫線を無視して、これから始めようとしている
<ヒカリを捉まえる方法>の図解や
メモを描き込んでいる。

高級煎茶で頭蓋内をゆったりさせて、
ヒカリを捉まえる装置を思案しているうち、
ヒカリを最初に見つめた
ガキのジカンにトリップしていた。
もう五〇年以上前だ。

戦争に負けて間もない製鉄所のある北の街は、
社宅の同じ家並みで埋まり、
各家の前には一メートル立方のこれまた同じ形の
木製ゴミ箱が設置してあった。
辺りを窺い後ろ手に蓋を開け、
尻からストンと中に墜ち込みながら蓋を閉めるという
目にも止まらぬ早業は、
もし誰かが見ていたら一瞬のうちに、
オレが神隠しに遭ったように見えたことだろう。
編み物だけが好きだったオレが、
オヤジの目から逃れられる秘かな場所だったのだ。

中は防腐剤のコールタールを塗ってあり、
捨てるモノなどないあのジダイ、
無用の長物だったゴミ箱の中は
いつも生温い温度に満たされた胎内のようだった。
すでに嗅覚を無くしていたオレは、
オフクロからもらった二本の編み棒で
闇をひたすらメリヤス編みに変換していた。
毛糸が無くなればワラや、
ラジオの電磁石を解いた細いエナメル線も、
ひも状のモノなら何でも編み組み込んでいた。

秋の晴れた日、オレはいつものように
一立米の暗黒に瞬間移動した。
黒い壁板に赤いダリアの小さな景色が、
逆さまになって揺れているではないか。
見覚えのあるオレん家の庭だった。
ダリアの向こうに、
オヤジがいる茶の間の窓までが映っていた。

一立米の暗黒のなかで、
逆さまになって揺れている
小さな無数の世界を眺めながら、
浮遊したような妙に愉快な気分をくっきりと覚えている。



今日、東京港からオブジェ群が出港した。
六月はいよいよアメリカ大陸での初個展である。
どんなコトが待ち受けているのやら‥‥。
神棚に燈明を点けて無事を祈る。

クマさんへの激励や感想などを、
メールの表題に「クマさんへ」と書いて
postman@1101.comに送ろう。

2005-05-03-TUE
KUMA
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