クマちゃんからの便り

大事の前の小事


指紋チェック、面通しなど
すんなり検問を通過すると、
玄関先J・F・ケネディ空港の扉が開いて、
オレは十数年ぶりのアメリカ大陸に這入り込んだのだ。
出迎えの人垣にオレの名前を探し出すのが、
最初のシゴトである。
MIKE WAISSギャラリーが差し向けてくれた
タクシードライバーが、
<KUMA>と書いたカードを
掲げて待っている筈だった。
これが大シゴトになった。

<TAKEDA>、違う。
<SAITOU>、オレじゃない。
オレは皿のようにした目を這わして探すのだが
KUMAは見当たらないのだ。
下げたままにしている男のカードを覗き込むと、
<LEE>だったし、目が合った無表情な男が
無気力に向けてくれたカードは<SMITH>だ。
オレは首を左右に「No!」。
「残念でした」とばかりに男はニヤリと笑う。

ここはすでにニューヨークだ。
人垣のなかに挟まっている癖のある
手書きのネームカードに、
自分の名前を探し出すことに少し焦りだしていた。
NYの6月は過ごしやすい筈だがやたらと蒸し暑く、
マイアミのような格好の出迎えが多い。

降り立つ背広のジャパニーズは商社員か、
器械メーカーのヒト等だろう。
目当てを見つけるなり、顔を崩して駆け寄り
再会の握手をしては賑やかに出て行く。
妊んだ腹を突きだした女房を見つけた男は、
山のようなトランクを押して走り寄り歓喜の抱擁だ。
原因の間で結果の半球形が潰れて歪む。

ネームカードを掲げる出迎え男等は
人待ち顔をしているが、
到着するヒトの顔なぞは知らないから、
単なる掲示板か標識の支柱とかわらない。
カードのなかに自分の名前を見つけるのは、
到着した側の義務なのだ。
無事に自分の名を認識出来るとホッとした顔になり、
次々と空港から出て行く。

旅立つヒト等がそれぞれ寡黙に抱える期待と
不安が漂う出発ロビーに比べて、
到着口には幸福そうな顔であふれていて
今ひとつドラマチックが少ない。
が、到着するなりさっそく
問題を抱え込んでしまったのは、
蒸し暑さと冷や汗でテーシャツを背中に貼り付かせた
オレだけのように思えてきた。

ジタバタしても仕方がないから、
道具が詰まったトランクに寄りかかり、
まばらになっていくロビーをぼんやり眺めて
<大事の前の小事>。
<THE CONNECTION UNITY>の
ボルトアップ作業を頭蓋内にシミュレーションしはじめた。

か細くKumaと言っているような気がした。
たどたどしい英語に振り返るとカールしたネームカードを
無造作に下げたアジア顔の小男がケイタイで喋っている。
オレは男のカードの端をつまんでそっと伸ばす。
か細い字でKumaと書かれていた。

「オレ、オレ、オレ、オレがKUMAだよ」

オレが叫んだ日本語に男はあわてて電話を切り、

「あんたはOREか? Kumaを探しているんだ」

「KUMAはオレだ!」

オレと男は同じ間隔で同じ速度で動いていたから
お互いに認識出来ないでいたのだ。
三十分も過ぎたころオレはやっと到着したのだ。

チェルシー地区に向かう。
二十年ほど前に来たときはまだこの辺りは
食肉の倉庫街で、危険なゾーンだったはずだったが、
今はコンテンポラリーのギャラリー街である。
二十四丁目は、マシュー・マークス・ギャラリー、
ガゴシアン・ギャラリー、ルーリング・オーガスチンなど
有名ギャラリーがひしめき合って、
特にパワーブロックと呼ばれ
MIKE WEISSギャラリーは、
そのど真ん中にある。
オレのNYデビューにはふさわしい。

出迎えてくれたオーナーのMIKEとは初対面だが、
髭が輪郭をとっている顔は実直そうな三十代らしい。
さっそく巻き尺を取り出して、
オブジェの設置位置をイメージしていると

「Morganは急用でここには来れない。
 八時からマスクパーティがあるんだけど、
 そこで落ち合うのはどうか。
 もし疲れてなけりゃだけど」

そこで設置の話をしようと、手渡された住所を訪ねる。
何とハドソン川に面した高級住宅。
どうやらコレクターの家らしく、
コンテンポラリーの絵画が壁や天井まで掛かっている。

マスクを手渡されビールを飲んでいると、
続々とマスクをしたヒト等が入ってきた。
少し遅くなって到着したMorganとMikeが、
オレをアーチストや画廊主などに引き回して
紹介してくれるのだが、

「エキシビジョンを楽しみにしている」

と言ってくれる
マスクに大半が隠れている顔しか覚えていない。

ニューヨークはうっかり出来ないわい。


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2005-06-21-TUE
KUMA
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