さぁ、ほぼ日刊イトイ新聞も12周年を迎えました。
これまで、一年経つごとに、
その節目節目での拙い思いやら、
ゆるやかな決意やら、述べてきました。
1998年6月6日から、12年が過ぎた。
今年も、「ほぼ日」は‥‥と
書き出そうとおもったのですが、
不思議なことに気づきました。
12年、12年、12歳、12歳と呪文のように唱えていると、
「ほぼ日」のことを考えながら、
じぶんというものの12歳を
イメージしはじめてしまったのです。
12歳のじぶんというのは、
小学校の6年生であり、中学の1年生です。
あんな背丈か、あんな生意気さか、
あんな無力か、あんな可能性か、
あんなよろこびか、あんな悲しさか‥‥。
「ほぼ日」というチームや、
「ほぼ日」という存在について、
もっと抽象的にも考えられたと思うのですが、
具体的で肉体的なじぶんの12歳のことばかりが、
思い出されてなりません。
「ほぼ日」とじぶんの12年を同じように考えるのは、
ほんとはまちがっているのかもしれませんが、
10年のときや、11年のときとちがって、
この12年には、どうやら、
肉体的なものさしを当ててみたいようなのです。
あんな背丈の、あんな生意気さの、
あんな無力な、あんな可能性をもった、
あんなよろこびを感じ、あんなふうに悲しむ12歳が、
これからの新しい一年をやっていくんだ。
そう思えてなりません。
やらねばならない宿題もいっぱいあるでしょうし、
困難も、課題も次々にあります。
そういうものに、無知であるがゆえに、
向っていくようなこともしそうです。
夢中になって時間を忘れたり、
大きな人々に混じって遊んだり闘ったり、
ぎゃふんと言わされたりね。
きっと、せいいいっぱいやっても、
まだ無力でしょう。そうなんだと思います。
でも、その年齢の、その無力があって、
そのあとの長い年月に耐えられる強さも
身に付けられるわけです。
ここからの1年。
これは、なかなかおもしろそうな
冒険小説とも言えそうです。
たんこぶつくることを怖れずに、
すり傷切り傷を勲章にして、
ちょっとだけ強がって、大またで進む。
そんなふうになるような気がします。
いや、そんなふうにしていきます。
足もしっかりしてきたし、
たいしたことないなりに知恵もちょっとついた。
約束できることも増えてきたし、
守れるようにもなってきた。
12歳の、まだガキですけれど、
おだてりゃ木にものぼるし、川も渡ります。
これからの冒険物語に、
応援の拍手など少しいただけたら、
いろんなこともっとおもしろくできると思います。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
いつも、つきあってくださって、
ほんとうにありがとうございます。
ぼくらの12歳になれたことは、
それを支えてくれた人たちのおかげだということ、
よくわかっているつもりです。
ほんとうにありがとうございます。
2010年6月6日
ほぼ日刊イトイ新聞 糸井重里
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