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質問六

はじめまして。
いつも気丈そうに見える谷川さんに少し重い質問がありあます。
私は癌という病気とかれこれもう八年以上つき合ってきていて、ここ二、三ヶ月前に二回目の再発をお医者さんから宣告されました。
今回は、他の臓器にも転移していて、何も治療を施さなければ余命一ヶ月と言われました。
抗癌剤治療をはじめて約ひと月、おかげさまで、痛みのコントロールもでき、まだふつうの生活を送れています。
皆さまからのサポートに感謝しつつたんたんとした日々を送っています。
もちろん肉体的にも精神的にもアップ&ダウンはありますが、それはそれで自然なプロセスとして日々流すように努力しています。

そこで質問です。
数人の友達や知り合いから、この状況に甘んじずに明るい未来に向かってがんばれみたいなことを言われるんですが、いまひとつピンとこないでいる自分がいます。
私の中では静かな諦めとでもいうのでしょうか、Voidに帰る準備がはじまっていて、過去にも未来にもあまりとらわれたくないなーというお気楽な気持が出てきています。
なんかこれ以上がんばるのはもういいかな?
みたいな感じです。
というか、生き死にの問題に関して私等の私見が反映されるのはどんなものかなという思いもあります。
皆さんが一生懸命、未来という地図を私のために見せてくれるのですが、とてもありがたいと思う反面、その地図に自分をどうはめ込んでいいのかいまひとつわかりません。
とても他人事のように感じるときがあります。

主人のことはとても愛しているし、数人の気のおけない友人達もいてくれます。
その方達と別れることを思うと胸が締め付けられる位寂しくなりますが、それはそれで仕方のないことだなと思っている自分もいます。
こんな私は自分本位の冷血漢なのでしょうか?
もっと熱く皆さまの為に未来に向かって努力し、一日でも長く生きるのが人間に課せられた天命なのでしょうか?

(ツウラ 四十代)

谷川俊太郎さんの答え

「がんばれ」って言う人たちは、真剣に死と向き合っているあなたの邪魔をしているとしか思えません。
あなたがいま感じていること、考えていることにその人たちはちゃんと耳を傾けてくれたのでしょうか。
それともあなたはそういうことを話題にするのは相手に失礼だと思って、口をつぐんでいるのですか。
「皆さまのために未来に向かって努力する」なんてあまりに他人に愛想が良すぎるじゃありませんか。
生きてるうちは他人と折り合うのに苦労したんだから、死ぬときくらいはひとりで静かに死なせてくれよ、というのがぼくの立場。
寂しい自分を「仕方がない」と受け入れるあなたは、もう自分の未来の地図にちゃんと自分の居場所をもっているから、他人の地図を気にする必要はないと思いますし、だいたい死を意識したあなたに、善意で自分の決まり文句っぽい死生観を押し付ける人たちは、思いやりのない偽善者だと考えていいんじゃないですか。

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