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[糸井]
日本の野球が難しくなりすぎている、ということについてもうちょっと詳しく聞かせてもらえますか。

[田口]
簡単にいうと、日本の野球というのはとにかく頭を使うんですね。
戦略を立てて、考えてやりなさい、という野球。
配球をきっちり組み立てて、打つほうはその配球を読んで、とにかく考えて、考えてっていう神経戦みたいなところがあるんです。
一方、アメリカの野球っていうのは、単純にいうと、子どもたちがやってる野球がそのままオトナになりました、というものなんですね。
本当に、草野球がそのままレベルアップしました、という感じなんです。
ですから、ゲームの中に迫力があるし、
「オレ、投げるから打てよ!」っていうストレートな感じが伝わってくるんですね。



[糸井]
脳じゃなくて、ボディーなんですね。
よく、日米の野球をそういうふうに表現するのを漠然と聞くことはあるんですけど、両方を経験なさった田口さんから聞くとやっぱりすごみがありますね。

[田口]
そういうふうに、感じますね。やっぱり。

[糸井]
日本の野球を見ていると、たしかにそう感じることはありますね。
また、観ている自分も同じようにそういう野球を楽しんでるんですけど。
ただ、あまりにも考えすぎるレベルが進みすぎるとそういう病気になっちゃうようなところがありますよね。
たとえば、相手のクセを読むとか、クセを読まれているのを知っててわざとそのクセを利用するとかいうことって、相手が同じくらいのことを考えててくれないと意味がないじゃないですか。

[田口]
そうです。

[糸井]
そういう危うい世界に行ってるような気もするんですよね。
それは、野球だけじゃなくて、あらゆる遊びや仕事がそうなんですけど、考えに考え抜いたところに、
「なんにも考えてませーん」という人がひとり混じるだけで台なしになるんですよね。

[田口]
そうですね。

[糸井]
もちろん、アメリカの選手たちも、考えをめぐらせながらやってる人は多いし、データの分析なんていうことについては日本よりも進んでる部分もあると思うんですけど、彼らの野球というのは、どこかで、
「考えてない人が混じるものだ」ということを前提にして組み立てているような気がするんです。

[田口]
そうですね。
で、実際に「考えていない人」も多いんです。
それは、悪い意味で言ってるわけじゃなくて。



[糸井]
ええ、わかります。

[田口]
そういう人たちが混ざるからこそ、
「何が起こるかわからない」っていうドラマ性がすごく生まれてくるんですよね。
もう、わかりやすく言ってしまうと、とんでもなくプレッシャーのかかる場面で
「何も考えずにバーンと振ったらホームラン」
というようなことが起こるんです。

[糸井]
起こるんですよねぇ(笑)。
日本の野球だと、
「何も考えずにバーンと振る」選手がいたら、それはそういう選手だと計算して組み立てるんですよね。
「大振りするけど当たればデカい」みたいに。

[田口]
そうだと思います。

[糸井]
本当は、出てる選手全員のどこかに
「何も考えない部分」というのがないと、観客の予想をくつがえすようなとんでもない野球にはならないんでしょうね。



[田口]
そうですね。

[糸井]
でも、日本の野球は、日本の野球で、特有のたのしさがありますからねぇ。
つまり、神経を張り詰めて、緊張しすぎて吐くような野球も、これはこれで‥‥。

[田口]
おもしろいですね(笑)。

[糸井]
おもしろいんですよ(笑)。
田口さんは、両方を経験してるんですね。

[田口]
そうですね。

[糸井]
だって、田口さんがいたころのオリックスを率いていた仰木監督って、豪放磊落なイメージがありますけど、じつは、緻密な人でしょう?

[田口]
すごい細かいです。

[糸井]
細かい野球やってましたよね。

[田口]
メチャクチャ、細かいです!



[糸井]
(笑)

[田口]
いちばん早く球場来て、ずーっと資料を読んでますから。

[糸井]
ああ、やっぱり。

[田口]
もう、ずーっとデータ見て、今日の相手ピッチャーと、この選手の対戦結果がどうのこうのって、全部書き出して分析してます。
いちばん早く球場に来て、いちばん遅くまでいますから。

[糸井]
はぁーーー。

[田口]
ずーっとデータ見て、そのデータを必ずポケットに入れて持ち歩いてましたね。
いや、だから、あれは、マジックでもなんでもないですよ。

[糸井]
なるほど(笑)。
つまり、徹底的な「日本の野球」ですね。

[田口]
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