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[糸井]
梅田さんがおっしゃる、
「コンフォートゾーンにいて なかなかつぎへ行けない」というのは、規模はぜんぜん違うと思いますけど、じつは「ほぼ日」でも同じことがいえると思うんです。

[梅田]
ああ。

[糸井]
あの、ぼくは今年、
「ほぼ日」が10周年を迎えたときに、全員の社員と面談をしたんですよ。
岩田さんのマネをして。



[岩田]
(笑)

[糸井]
そのとき、社員と話してるうちにね、
「10年前の自分に感謝する」って思ったんです。
つまり、10年前の自分が、先のことを考えずに
「よいしょ!」ってやってくれたおかげでいまの自分たちがあるわけですよ。
で、いま自分たちは忙しくやってるつもりでいるけど、あのときのあの「よいしょ!」に比べたら、ずいぶん快適な、ぬるま湯にいると思うんです。
でも、やっぱり、いまから10年後の自分にも、同じことを言ってもらいたいじゃないですか。
「2008年の自分が先のことを考えて 用意しておいてくれたおかげで いま、こうしていられるんだよ」って、笑いながら仲間と語り合いたいなと思ったら、ちょうどいいスモールビジネスを回し続けているわけにはいかないなと。
はたしてそれがストレッチするというはっきりした形になるかどうか知りませんけど、せめて、必死でなにかをテストするようなことが、一回、一回、必要なんだろうなと。

[岩田]
糸井さんの10年前の「よいしょ!」で私が象徴的に憶えているのは、当時、糸井さんが「広告は終わったんだよ」ってはっきりおっしゃったことです。
「だって、『いま売れてます』が いちばん効くコピーなんだから、 この先の広告にはなにもないよ」って。
そのころ、広告の世界の、いちばん中心にいた人がそんなふうにおっしゃったので、私は強烈に憶えているんです。



[糸井]
ああ、そうか。
たしかに、あのころああ断言できたというのは、思えば、けっこうな冒険ですね。

[岩田]
ええ。だって10年以上前ですからね。
いまはみんな共感できるかもしれませんけど、そんなこと、誰も言ってませんでしたから。

[梅田]
コンフォートゾーンじゃないところへ自分から踏み出したんですね。



[糸井]
そうですねぇ。
なんの収入の当てもないまま、
「ほぼ日刊イトイ新聞」をはじめたんですからね(笑)。

[梅田]
岩田さんが社長になられてからの任天堂も、コンフォートゾーンじゃないところへ明らかに踏み出しましたよね。

[岩田]
結果的には、そうなりますね。
ぬるま湯のなかにいても、ゲーム業界全体がゆっくり死んでいくだけだと思ってましたから。

[梅田]
ぼくはね、やっぱりその判断がすごく、気になっていることなんですよ。

[糸井]
とんでもないことですよね。
なんていうか、バランスの取り方が素人目に見てもすごいんですよ。
大きい会社であるということを短所としてとらえるのではなく、長所としてうまく利用して、保守すべきところはきちんと守って、決めたところは果敢にチャレンジする。
両方を同時にできるバランス感覚というのかな。

[岩田]
いや、だってね、大革命をするから、5年待ってください。
その間は利益は出ませんと言ったら、社長はクビになるんですよ。

[糸井]
それはそうでしょうね。

[岩田]
だから、毎年、一定水準の利益を出しながら、でも、変えていかなきゃいけない。
いってしまえば、飛びながら飛行機を修理するみたいなところがあって。

[糸井]
そうですよね(笑)。
だから、岩田さんにとってみれば、すべてを投げ打った革命なんて、きっと、したつもりもなくて、改革や改良に近いというか。



[岩田]
うん、そうですね。

[梅田]
ただ、世の中の企業のトップは、全員が口では「改革!」って言ってるわけですよ。
そう言いながら、誰もコンフォートゾーンを超えるような勝負はしようとしない。
そういうなかで、あのチャレンジをやり遂げられたというのは、たいへんなことですよ。
口で言うだけなら簡単ですから。

[糸井]
そうですね。

[梅田]
だから、糸井さんのことばをお借りすれば、10年後の任天堂の人たちに感謝されるような立場にいまの岩田さんはいると思いますね。

[岩田]
いや、まだまだですよ。

[糸井]
梅田さんは、ご自分の会社については、どんなふうなスタンスなんですか。

[梅田]
ぼく自身は、あるときを境に、組織の拡大、継続を目指すことやめているんです。
ですから、いまのぼくの会社には、社員がいないんです。

[糸井]
あえて、そうしたんですね。

[梅田]
はい。自分でいうのもなんですが、ぼくはそういうことについて、ちょっとストイックなところがあって。
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