2025-03-28

・勝つか負けるかとは、よくある言い方だ。勝ちがあって、負けがある(たまには引き分けというものもある)。ということになっているけれど、それはスポーツなどの「勝負事」の場合だ。ほとんどの人生は、そういうものではない。ふつうは、勝ちだの負けだの、いちいち考えてない。「りんごを買おう。よーし勝つぞ!」なんてことはない。「渋谷に行こうか」「うん行こう、負けないぞ」もない。ほとんどの時間は、人は勝ちだの負けだの考えてない。むやみに負けず嫌いな性格の人もいて、どんなことでも「勝ちたい」と思っているらしいが、そういうのは人に迷惑だし、じぶんをも不自由にする。なにがなんでも「損したくない」というのも勝ち負けの発想に近いかもしれないね。「コスパ」だの「タイパ」だの言いたがることだとか。

人が勝つか負けるかを考えていないときには、いったいなにをしているのかというと。「そこにいる」「過ごしている」「残っている」。有名な「Let it be」の「be」の状態だ。考えてみたら、「be(いる)」でいるときに「げんき」か「弱ってる」かはあるかもしれない。勝ちとか負けとかに関係なく、それはあるだろう。「ごきげん」か「ふきげん」かも、大いにあるね。「たのしい」か「つらい」かも、あるよな。

勝っていても、どれだけ勝っているつもりでも、ちっともたのしくない人もたくさんいる。そして、負けていると思われていても、たのしそうにしている人だって、いっぱいいる。昔、メディアの間で「勝ち組と負け組」という分け方が流行したけれど、現実の人びとは、そんなこと意識していたのかなぁ。そんな分類よりも、「ごきげん」か「ふきげん」か、「たのしそう」か「つらそう」かのほうに、人の憧れや興味は向いているのではないだろうか。そういえば、「ほぼ日」は、ある時期に「ゴキゲンを創造する中くらいのメディア」をキャッチフレーズにしていたっけな、あれよかったな。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。「知るより好むが、好むより楽しむのほうが」と孔子は言う。

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