「苦あれば楽あり」
「冬きたりなば春遠からじ」
昔の人は言いました。
北海道の冬に、なにが起きたのか?
感動の最終編だよ。
「納涼・北海道には本当の冬があったよ。」
「灯油は別料金なんだよ。」
生まれて初めての、耳を疑う言葉であった。
返す言葉を失った。
「灯油だって、タダでないんだよ。当然だよ。」
ボナ植木のこめかみが、ヒクヒクと動いている。
「そうねぇ、じゃ、いらね~や。」
外より寒い(ような気がする)部屋で、
僕は自問自答を繰り返していた。
いったい、何があったっていうのか?
札幌の、あの甘酸っぱい日々は夢だったのか?
それとも今この瞬間が悪夢なのか?
フトンの中でむやみに身体を揺すって、
少しでも温めようとする。
が、函館の冬の夜がそれで温まろうはずもない。
寒い、さむい、さむい、さむい・・・。
突如、ボナ植木の反撃のノロシが上がった!
「ウヒヒヒヒ、このままじゃ寒すぎるぞ。
ええ~い、これでも喰らえっ。」
闇夜に浮かぶマジシャンが手にしているのは、
そうです、
ヘアー・ドライヤーではありませんかぁっ!
ゴゥ~という音とともに、
かすかに暖かい空気、懐かしくすらある暖房もどきの風が!
なんとボナ植木はドライヤーを
フトンに差し入れてスイッチ・オン!
たちまちホッカホカになっているのであった。
「あんたもやりなよ。」
さっそく僕もやりましたよ、ドライヤー。
「アァハハハハ、な~んだ、あったかいや。
いやいや、暑過ぎでないかい。」
しっかりスイッチをオン・オフさせていたボナと違い、
かかえたままぐうぐうと眠ってしまった
僕のドライヤーは、
ニクロム線が焼き切れてただの冷風となっていた。
なんの反応もない、キャバレーの客。
それも身に凍むが、
それに追い打ちをかける旅館の冷ややかさ。
さすがにドライヤーでは暖まりそうにない。
怒りならまだいい、この寂しさがつらい。
しかし、我々はまだ神様に見放されてはいなかったらしい。
旅館の夫婦には、まだ小学校にも行ってないような、
幼い男の子がいた。
朝、勝手にふすまを開けて珍しいものを見るように
我々を見ている。
ほっぺが紅くふくらんでいる。
キャバレーの客に受けないウサを晴らすつもりはないけど、
なにげなくマジックを見せてみた。
嬉しそうに笑ってくれた。
苦渋の沼に沈む我々を唯一救ってくれていたのは、
この子の笑顔だったかもしれない。
別にマジックを理解していたわけではなかっただろうけど、
何を見ても嬉しそうに微笑んでくれるのだった。
なにかと忙しい両親に
相手をしてもらえない寂しさを
紛らわせているだけだったのかもしれない。
でも、なんだか嬉しそうに僕らの間をゴロゴロしたり、
ハトを珍しそうに見つめていたりした。
僕らが部屋にいるあいだ中、彼は一緒にいた。
「ちょっと寒いんでないかい? 」
旅館の親父が顔を覗かせます。
はは~ん、我々はともかく、
可愛い子供が風邪でもひいちゃあ・・・。
ふんっ、勝手なもんだ。
「別に。もう慣れたよなぁ。」
こちらも、意地ってもんがあるぞ!
「まぁとにかく、一応入れとくよ。
金はいらないからね。」
夕食の席でも、子供は僕らと一緒に食べます。
時々、食べさせたりもします。
「あの、なんか食いたいもんあったら、
明日、市場行ってくっから。」
「そんじゃあお言葉に甘えて、
イカ・ソーメンとウニ! 」
3日目にして、暖かい部屋と
美味しい夕食にありつくことが出来ました。
親父さんも奥さんも、
なんだか良い人になっていました。
もともと、ちょっとぶっきらぼうなだけだった
かもしれません。
キャバレーからの支払いが安すぎて、
灯油もイカ・ソーメンもウニも別料金でないと
やっていけなかったのかもしれない。
子供の嬉しそうな表情が、
なんだかいろんなモヤモヤを溶かしてしまったようでした。
「今日はウケたんかい? 」
「いやぁ、まったくダメ。
でももう慣れたよ、アッハッハ。」
「あの店の客が悪いんでないかい。
ちょっと呑むかい? 」
まるで親戚の家のようになりました。
留萌に向かう朝が来ました。さいわいにも、
子供はいつもの笑顔のままで
見送ってくれました。泣きそうなのはこっちだった。
「またすぐ来るからね~。」
あれから十数年が過ぎても再び
あのキャバレーに呼ばれることもなく、
あの旅館に帰ることもありませんでした。
後年、函館の駅前に出来た
真新しいホテルに呼ばれました。
今度は飛行機であっという間に着いてしまいました。
さっそくあの懐かしい場所を探してみたのです。
キャバレーはありませんでした。
そこから少し歩いたところに
あの小さな旅館があったはず・・・。
なにもなかった。
そこは小さな公園になっていました。誰もいなかった。
でも、本当は白いしろい雪のずっとずっと向
こうに、あの旅館の灯があるような・・・。
(終)
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