MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

『しりひきドッチ』


私の故郷は岐阜の山里である。
近くに川も流れていて、子どものころはよく川で泳いだ。
日本がバブル真っ最中のころ、
山の向こうに高速道路が通った。
山のこっちにはゴルフ場ができる、と聞いたとたんに
バブルがはじけた。
したがって山のこっちの我が故郷は、
おおむね変わらない風景を保ってくれている。

川の流れも昔のままで、せせらぎに魚が跳ね、
深いところには大きな魚がゆったりと泳いでいる。
だが、今の子どもたちは川で泳ぐなんてことはせず、
学校のプールで泳いでいるらしい。
確かに今でも川幅は広く、深さも相当ある川で、
危険には違いない。
私も何度も深みにはまって溺れそうになったり、
逆に浅いところに飛び込んでけがをした友達もいた。
それでも、川遊びは禁止されることはなかった。
川でなくても、山にだって多くの危険があったのだが、
それらが公に問題にされたことなどなかったのだ。

山で蜂に刺され、川で溺れそうになりながら、
私はこうして生きてこられた。
なぜなら、近所のお兄ちゃんたちがあれこれ助けてくれ、
多くの遊びの極意を教えてくれたからに違いない。
泳ぎも近所のお兄ちゃんたちから教わった。
といっても手取り足取りではなく、
後ろからちょこちょことついて行って
マネをしながら少しずつ覚えるのであった。
そんなお兄ちゃんたちが言うには、
「川の上の方の、あの大きな木の下あたりで
 泳いじゃダメだからな。
 あそこで泳げるのはもうちょっと大きくなってからだ」
どうやら小学5年くらいにならないと
泳いではいけないらしい。
お兄ちゃんは声をひそめて続ける。
「あそこの深いところで泳ぐと、
 小さい子どもは帰ってこれんぞ。
 オレくらいでも、あそこでは泳がないからな。
 なんでかっちゅうと‥‥」
お兄ちゃんの話によると、
どうやらあの深いところには
『しりひきドッチ』という魔物が棲んでいるらしい。
あまり泳げない小さな子どもが、
その場所で泳いだりしていると、
翠色の深い川底から『しりひきドッチ』がやってくる。
そうして、川面に浮かんでいるこどもたちに
問いかけるのだ。
「ドッチだぁ?」
そう言いながら、誰かひとりをどこまでも追いかけてきて、
尻をくわえて川の底に連れて行ってしまうのだという。

今になってみると、
「ドッチだぁ?」
などという間の抜けた問いかけをする魔物には、
一度お目にかかりたくもなるのだが、
当時の私は純真な子どもであった。
お兄ちゃんの話を聞いた途端、世にも恐ろしい魔物、
『しりひきドッチ』を思い描いてしまったのである。
大きなお兄ちゃんたちが、
あの大きな木から川にダイブして
すぐにまた岸に戻ってくる。
飛び込む時は実に真剣な表情で、
川面に顔を出すとすぐさま岸に戻ってくる。
なんだか恐いような楽しいような遊び。
それを、小さい私たちは岸からただ見つめていた。
大きくなって、
やっとあの『しりひきドッチ』が棲む川に
ダイブできるようになった。
高い木の上から飛び込むと、かなり川深く潜ることになる。
それでもまだ川底は見えてこず、
濃い翠色があるばかりだ。
急いで川岸に戻らないと、あの
「ドッチだぁ?」
が聞こえてしまうような気がして。

大人になった私は、いつしか都会で暮らしている。
時々、ふと自分の人生が見えなくなる時がある。
はたして私は都会で泳ぎきれているのだろうか。
ちゃんと浮かんでいるのだろうか、
それとも実は深い底に沈んでいるのでは。
あの『しりひきドッチ』に尋ねてみたくなる。
私の人生は「ドッチだぁ?」

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2006-05-18-THU

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