MAGIC
ライフ・イズ・マジック
種ありの人生と、種なしの人生と。

『神様の愛したマジシャン』


小説を書き上げた。
ひとりの少年がプロ・マジシャンになるまでを
描いたものだ。
おそらく、プロのマジシャンが書いた
世界初の小説ではなかろうか。
枚数はざっと300枚、
いやはや、このような量の文章を書いたのは初めてだった。
なんせ小説である。
まずは内容、文章の質よりも
ある程度の量にならなければならない。
だが、書けども書けども、まるで量が増えないのだった。
生まれ持った計画性のなさに加え、
何事にも楽天的な私ではあったが、
書き進むに連れて、
今のままのペースではゴールに到達できないことが
分かり始めていた。
そこで私は電卓を手に取り、残りの枚数を入れ、
予定している日数で割ってみたのである。
すると、電卓の数字は『5』と表示された。
一日に400字詰め原稿用紙を5枚以上書いていかないと、
小説の完成などあり得ないのであった。
一日5枚となると、一日サボると翌日には10枚、
3日サボったら一日15枚。
もはやギブ・アップ確実な枚数なのだった。
さすがの私も、
心を入れ替えて書くペースを上げたのだった。

その頃、私は遠い昔の小学校の夏休みの宿題を
思い出していた。
あの頃も、私は8月の半ばを過ぎても
宿題にまったく手をつけていなかった。
そうして、夏休みも残すところ3日という頃になって、
急に泣きながら宿題をやったものだ。
習字の宿題があった。
確か10枚くらいを、
先生が出したテーマに沿って
書き上げなければならないのだ。
私の悪戦苦闘ぶりを見て、
父が見本となるようなものを書いてくれた。
それを手本にして、数回練習して書けばよいことになった。
だが、私は、あろうことか
その父の手本をそのまま自分のものとして
提出してしまったのだ。
さすがに、今の私でも決してできない愚行であったのだ。
悪事はすぐに露見した。
「小石くん、君の書いたものだが、
 なぜだか旧漢字が使われているねぇ。
 この文字は、いったいどこで習ったのかねぇ」
私は小さく謝りつつも、
心の中で旧漢字を書いた父を恨むという
馬鹿息子なのであった。
粘土で人間の顔を制作するという宿題は、
私の大好きな宿題であった。
好きならばもっと以前に作っておけばよいのだが、
なんせ川遊びがあまりにも楽しかったのだから、仕方ない。
もう翌日には提出という頃になって
やっと粘土を練り始めた。
好きこそものの上手なれ、
なかなかハンサムな顔が完成した。
丁寧に袋にいれ、学校へと向かった。
ところが、途中で転んでしまった私の手から、
大切な作品がボテッと落ちてしまったのだ。
もっと早くに完成させておけば、
粘土が完全に乾いて
強度が増していたに違いなかったろうに、
完成したばかりの我がハンサム顔は、
まるでフランケンシュタインの顔のように
変形してしまったではないか。
茫然自失となった私は、よろよろと学校に向かった。
教室に入ると、すでに皆が作品を机の上に置いていた。
それらの作品を、先生が順番に見て廻っているのだった。
間もなく、先生が私の机にやって来た。
私は、皆の前で笑われるか、叱られるのを覚悟していた。
「おい、小石。
 ふむふむ、とても面白いのを作ったなぁ。
 うんうん、こういう個性的なのが良いんだよ。
 特に、このザックリと直線のようにえぐれてるところは、
 印象的だなぁ」
意外なことに、先生は大絶賛してくれたのであった。
ただ、絶賛している部分、
直線的にザックリとえぐれているのは
私のアイデアではなく、
ただ落としてしまっただけであったが。
人生とは常に偶然に左右されることを、
私はこの時に気づいたのであった。

さて小説であるが、地道にコツコツと書き続けたお陰で、
なんとか完成させることができた。
途中で落としたりもしなかったので、
人生の機微を
ザックリと直線的にえぐった印象的な文章には
ならなかったかもしれないが、
マジシャンの人生を描くことはできたと思っている。

ひょっとすると、私の初の小説
『神様の愛したマジシャン(仮題)』が、
今年の6月に書店に並ぶかもしれません。
どうか皆様に読んでいただけますよう、
切に願っております。

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2008-03-23-SUN
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