![]() |
ライフ・イズ・マジック 種ありの人生と、種なしの人生と。 |
誰が言ったか、たぶん僕が言ったと思うのだが、 人生は上がりのない、 あるいは上がりの見えない双六である。 過ぎ去る時とともに前に進んでいるように思えても、 振り返ってみれば停滞していたり後退していたり。 上がりが見えないのなら、 いっそのことスタートから見直しましょうと今週のお題。 『マジシャン双六(すごろく)海外編』 < スタート > 僕の初めての海外旅行は、ハワイであった。 1983年の夏で、もう30年も前のことになってしまった。 あまりに昔のことでよく覚えていないが、 日本が右肩上がりの経済状況になり始めた頃だと思う。 それゆえ、プロマジシャンになってまだ駆け出しの僕でも 何とかお金の工面ができたのだろう。 IBM( International Brotherhood of Magicians )という アメリカのマジック団体の大会が ハワイで開催されることになり、 日本からツアーを組んで参加することになったのだ。 IBM大会ではプロ、アマを問わず参加できるコンテストが あり、ちょっくら腕試しに挑戦したのだった。 「やっぱり、着物で。 東洋の神秘というやつで勝負しなくっちゃ」 多くの先輩たちのアドバイスで着物を着てみたものの、 まるで似合わない。 僕は着物を着慣れてなく、着こなせてもいないのだった。 仕方なくいつもの洋服で演じ、それが良かったのかどうか、 僕たちは何とか6位に入賞した。 50組ほどのマジシャンたちがコンテストに出たのだから、 まぁまぁの出来ではなかったろうか。 < 3つ、すすむ > 翌1984年には、ラスベガスのステージに立つ機会を得た。 ある日本人マジシャンがラスベガスで 和風のマジック公演をすることになり、 僕らも一緒に出演することになったのだ。 ラスベガスでマジック公演といえば、 マジシャンの夢であった。 多くのマジシャンがラスベガスのステージに立つのを 夢見ていたが、なかなかにその道は遠く険しかった。 僕はなぜか、ラスベガスへのあこがれは皆無だった。 それより、浅草や新宿の寄席に出る方が 大いに勉強になると思っていた。 ラスベガスよりも、寄席の高座でウケることを 目標にしていたのだ。 ラスベガスを夢見た多くのマジシャンが叶わないのに、 望んでもいなかった僕がひょいと立ってしまったのだから、 人生とは皮肉なものだ。 < 1つ、すすむ > 調子に乗って同年、 SAM( the Society of American Magicians )大会に 参加した。 コンテストにも挑戦したのだが、なぜか少しもウケず、 まるで賞に絡めなかった。 < 2つ、もどる > 同年、アメリカはロサンゼルスにあるマジックの殿堂、 マジックキャッスルに1週間出演した。 マジックキャッスルは、ヨーロッパにあったお城を ロスに移築した建物で、外観は城そのものであった。 城の中は会員制高級クラブのような造りで、 大小様々なステージがあり、 連日素敵なマジックショーが開催されていた。 マジックキャッスルのステージに立てれば 一流のマジシャンの仲間入りといわれ、 厳しいオーディションを通過するか、 著名なマジシャンの推薦がないと出演は叶わなかった。 僕たちはどういう経緯で出演を許されたのか、記憶にない。 確か、誰かがジャパンウィークというのを企画し、 これまた誰かの推薦でメンバーに加えられたのだった。 マジックキャッスルの近くに住むマジシャンのアパートに 居候してキャッスルに通った。 飼われていた犬のノミに喰われ、痒くてならなかった。 日本では一度もなかったノミ経験を、 アメリカのロスで経験しようとは。 ロスの夜、僕はベッドに腰掛けて足を掻いた。 犬は申し訳なさそうな顔をして、 ベッドルームから出ていった。 ノミを英語でFlea(フリー)、 痒いはItch(イーチ)と言うことを覚えた。 < 1つ、すすむ > 1985年、マジック界の最大の大会である FISM( Festival International Society of Magic ) スペイン大会に参加した。 コンテストに挑戦するため会場に行くも、 いつも会場の玄関が閉まっている。 いわゆるスペイン時間というものであろうか、 開場は2、3時間遅ればかり。 数日後には慣れ、わざと2、3時間遅れて会場入りした。 すると会場の職員さんに、 「日本人は時間にルーズだ」 と叱られてしまった。 < 2つ、もどる > 1987年、フランスのパリに行った。 チーム名のナポレオンズは、 フランスの皇帝ナポレオン様から無断で借用したものだ。 それでは申し訳ないと、皇帝ナポレオンのお墓に 参ったのだ。 さすが皇帝ナポレオンの墓所は大きく、 まるでお城のようであった。 建物の中央に、これまた巨大な棺が置かれていて、 その前に 『皇帝ナポレオン様 どうか名前を拝借するのをお許しください。 日本のナポレオンズより』 と書いたのぼりを立て、写真を撮った。 守衛さんがたいそう怒っていた。 < 1回、やすみ > 同年、今度は北アフリカのモロッコへ行った。 モロッコにジュマエルフナという広場があり、 世界中から大道芸人が集まって 珍しい芸を披露していると聞いた。 そうなれば、僕らの代表作である 『あったま・ぐるぐる』こそ 誰しも珍しい芸と喜んでくれるに違いないと思ったのだ。 広場の真ん中で、何度も何度も 『あったま・ぐるぐる』を演じ続けた。 何の反応もなかった。 < 2回、やすみ > どうやら、僕らの芸は アフリカの人々にはウケないのかもしれない。 ならば、やはりヨーロッパだろうと ドイツのベルリンに出向いた。 ハンカチから出現したハト(ゴム製)がポトリと落ち、 帽子から飛び出したウサギ(縫いぐるみ)がバタンと倒れ、 最後にマジシャンも倒れるマジックを披露した。 モロッコ以上にシ~ンとなった。 < 振り出しに、もどる > 上がりが見えるどころか、 1987年ですでに振り出しに戻ってしまった。 考えてみれば、例えば落語家さんには真打ちになるという、 明確なひとつの上がりがある。 ところが、マジシャンには そういう明確な上がりがないのだ。 マジシャンひとりひとりが、上がりらしき段階を定めて 進んでいくしかないのだろうか。 親愛なるほぼ日読者の皆さんの人生双六は 2013年の今日、 さてどのあたりでしょうか? |
このページへの感想などは、メールの表題に
「マジックを読んで」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。
2013-02-03-SUN
![]() 戻る |