ライフ・イズ・マジック 種ありの人生と、種なしの人生と。 |
『人生見習い中』 落語家は、始めは前座見習いからスタートする。 その後、順調に行けば前座になり二ッ目になり、 やがて真打ちとなる。 前座というのは仏教用語から来ているらしい。 もともと、落語家の始まりは 面白い説法をするお坊さんだったというから、 当然のことかもしれない。 二ッ目は、ダルマに二つの目を入れられる、 つまり開眼したという意味だ。 真打ちは、最後にロウソクの火を打つ、消すことから、 寄席の最後を受け持つ役割を意味するのだとか。 長い歴史を誇る落語界、 さすがに肩書きにも確かな由来があるものだ。 マジシャンの始まりは修験者だと聞いている。 真っ赤に焼けた炭の上を裸足で歩く、 火渡りの術などの荒技をこなす人が後々、 手妻師になったらしい。 手妻とは、手技を稲妻のように見せるという意味だ。 現代では、手妻師という呼称より手品師の方が一般的だ。 手品師とは、手を変え品を変えて 不思議なことを見せる人。 私は手妻師ではなくて、手品師である。 なぜなら、品という字は口が3つでできている。 つまり、手技より口の方が多い。 それゆえ、 「えっ? 小石さんてマジックできるんですか?」 などと言われてしまうこともあるのだが。 落語と同じく、マジック界も長い歴史がある。 だが、前座とか真打ちとかの肩書きはない。 マジシャンといっても、 大ネタの人もいれば小技の人もいる。 お笑いマジシャンがいて、シリアスに見せる人もいる。 また、危険術とか脱出術が得意なマジシャンもいる。 マジックのタネを考案する人もマジシャンだし、 実演販売しているのもマジシャンなのだ。 様々なジャンルに分かれているのに、 横並びに肩書きなど付けられはしないだろう。 肩書きに寄りかかっていると、時に痛い目にもあう。 真打ちの落語家さんが、 「なんだぁ、真打ちなのに面白くないねぇ」 なんて言われたりすることもある。 せっかくの肩書きが、 むしろ逆の効果をもたらしたりするものだ。 もし仮に、私に肩書きを付けるとしたら 何がいいかなと考えてみる。 どう考えても真打ちではない。 ダルマさんはウインクしたままで、 二ッ目でもない。 目に入れているのはコンタクトレンズで、 それでも近視は完全に補正されていない。 しかも乱視で、開眼どころか 一寸先は霞がかかって朦朧としている有様。 前座というのも変だし、見習いとなれば 37年も何かを見習っていることになる。 でも、なんだか見習いというのが いちばんしっくりくるような気もする。 さて、寄席では落語家以外は色物と呼ばれている。 漫才師も漫談もジャグラーも、マジシャンも色物なのだ。 これは、寄席の入り口に掲げられている 出演者の芸名に由来している。 落語家は黒い文字で書かれ、 他の演芸家は赤で書かれているのだ。 それで、いつしか演芸家は色物と呼ばれるようになった。 別に差別を受けている訳ではないのだ。 単に落語家と他の芸人を区分けしているだけなのだ。 ところが先日、雑誌に、 『まるで、色物扱いをされて‥‥』 という表現の記事を見つけてしまった。 『メインが当然なのに、 まるで添え物のような扱いをされて‥‥』 という趣旨の記事であった。 また、私が、 「僕らは色物なので、最初に出ることは少ないし、 最後ってことも‥‥」 などと話していると、 「そんなぁ、色物だなんて卑下しなくても」 と言われたこともある。 色物の意味を誤解している人が多いのだ。 以前、ある僧侶が、 「『坊主、丸もうけ』という表現を使わないでほしい」 と、各界に陳情したことがあった。 過度の言葉狩りはいけないが、 私も『色物扱い』なんて表現は勘弁してほしいと思う。 私に肩書きをいただけるならば、『人生見習い』 なんてのが、いいな。 |
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2014-04-06-SUN
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