『奥渋の春』
先日、マジック・ショーの依頼があった。
会場に出かけてみると、観客は子供ばかり。
しめしめ、まさに『子供だまし』とはこのこと。
とはいえ、実のところ子供たちの反応は
マジシャンの計算をめちゃくちゃに裏切ることが多いのだ。
そこで、一切ネタを繰ったりせず、
出たとこ勝負のマジックを連発する。
つまりは子供たちと一緒に遊んでしまうのだ。
「君たちは知らないだろうけれど、
大人になると頭がくるくる、回っちゃうよ」
子供たちが一斉にギャァ~ギャァ~騒ぎ始め、
「そんなの知ってるよ~、誰だってできるんだよ~」
うるさいったら、ありゃしない。
ある日、マジックのネタを
あらかじめ見せてほしいという依頼があった。
いわゆるネタ見せというやつだ。
そこで色々と考えを巡らし、
企画に合いそうな5、6種類のマジックを持参し、
カメラで撮ってもらった。
「これを責任者がチェックして、
どれにするかを決め、結果をご連絡します」
てなことを言われたのだが、しばらくして、
「実は、
もうちょっと別のマジックが良いという結論が‥‥」
そこで、またまたマジックを持参し、ネタ見せをし、
「もっと、すごいのはないのか、と言うことで‥‥」
なかなか良いお返事をいただけない状況が続いている。
ネタ見せが不調に終わり、
「あ~ぁ、こうなりゃ、
相方にがんばってもらうしかない。
別のネタを、すごいのをよろしく」
そう独りごちつつ、渋谷に向かった。
最近は『奥渋』などと呼ばれているところに、
素敵なビストロがあるのを思い出したのだ。
だが、時間はまだ午後3時、開いてないかもしれない。
それでも、ビストロ方面に歩き続けた。
私は久々に落ち込んでいたのだ。
すごいマジックなんて、私はやったことがない。
今回は相方にマジックを丸投げ、
私は傍で所在無げにただ立っているしかない。
あぁ、私はこの寂しさをワインの酔いで忘れたかった。
なんと、嬉しいことにビストロは開いていた。
カウンター席に座り、さっそくハマグリのワイン蒸しと
白ワインを注文。
ハマグリのワイン蒸しは、早くも春の匂いがした。
冷たい白ワインが、春の味わいとともに
滑らかに喉を滑り降りていった。
一応は、心の中で、
「マジックのネタを考えなければいけないのに、
昼間から白ワインを飲み、
ハマグリを食べるなんて、
まっとうな社会人のすることではないだろう。
私は本当に、ダメなマジシャンだ」
そう反省しつつ味わうのだが、
この反省しつつ飲むワインの美味いこと。
いつしか酔いは回り、
「最近は寒くて凍えていたけれど、
もう春がすぐ傍まできてる。
そうだよ、ダメな人間にも、
春は平等にやってくるんだよ。
むふふふ、むふふふ」
店主が私の顔を覗き込んで、
「小石さん、なんか良いこと、
あったんですかぁ?」
と訊くから、
「いやいや、悪いことを忘れちゃっただけですよ、
ふふふ」
店主も笑顔になって、
お代わりのワインを注いでくれた。
  |