YOSHIMOTO
吉本隆明・まかないめし。
居間でしゃべった
まんまのインタビュー。

第2回。

回は<目の手術のことなどなど>だったけれど、

第2回は<からだを治すということなど>です。
糸井 鶴見(俊輔)さんとの対談は、
もう終わってますよね。
吉本 終わって……。
糸井 やっぱり病気の話ししたんですか。
吉本 とからはそうですけどね。
初めっから、お正月に病気の話、
しけた話っていうのも嫌だなって思うっていうか、
何かそれを避けたい避けたいと思って。
お互いに?(笑)
吉本 お互いに避けようと思って。
ま、多少いいんじゃないでしょうかね。
まあまあ、六、七割方で、
まあ、これでいいじゃないのって。
お正月だって言ってることが初めにありまして、
それからあとはもう、病気と体の。
糸井さんからもらった、借りた あの話も出ましたよ。
糸井さんは映像でもって
えらく感心して見てましたよって言って。
僕は言葉であれで、
何か「学問は重労働だ」って言ってたのね。
僕は感心したって、それは感心してたんだって、ね。
普通学問は難しいこと、偉いっていうふうなこと
言うんだけど、重労働だって言ったのは
初めて聞いたって、だから感心しましたってこと。

それからあとは、鶴見俊輔は、
ちょうどおやじが病気んとき、
「おれはちょうどアメリカかどっかへ行ってて、
留守してあれして、できなかったんですよ」とか言って、
あはははって笑って。
僕はあの笑ったのが、
あはははってのが感心したって言って。

糸井 あれはちょっと、感心しますよね、うん。
吉本 その二つを僕は、言葉のあれで言うと、
その二つを感心したっていう話をしましたけどね。
糸井さんが映像のあれで映像を言ってました
っていう話が出てきて。
糸井 僕は、一つは女の人の強さにやぱり感心して。
吉本 すごいですね。
糸井 何ていうんだろう。
ボランティアで手伝ってくれる人に、
「あんた、それはだめ」みたいな。
あれができるようになんないと、男もだめだなって。
吉本 そうなんですね。そうだと思いますね。
それもつくづく感じますけど。
糸井 あっ、思いました?
吉本 感じますけど、しかし、
僕はちょっと逆になっちゃいますね。
できるだけ、もう。
糸井 さわらないですよね。
吉本 そそそ、そうなっちゃうの。
だから、僕は、すごくおもしろいなあと思いましたね。
たしかに、そこんとこは。
だけどね、そう言ったらあの人が言ってましたけどね、
ほんとは自分のほうからじゃないんだって。
その、あれを見た人……。
車いすの状態になったっていうのを
何かで聞いたお医者さん、帝京大のお医者さんで、
それが逆にっていうか、電話かかってきたんだって。
そして、あれを知ったわけで。
これはお医者としては逆なんだけど、
要する、自分にかかればリハビリが進んで
すぐ歩けるようになると思うからどうだろうかって
言ってきたんだって。
それでいよいよ最後にそこに行って少し、
何とか言ってましたよ。
今は300メートルぐらいは
杖なしで歩けるぐらいもいったんだって。
糸井 300メートルって結構な距離ですよね。
吉本 僕はそんなに行けないです。
今100メートル足らずですね。
杖なしにしてたらそれぐらいですけどね。
だから300メートルって相当いいですね。
だから、きっとうまいんでしょうね、
リハビリのやり方がうまいんでしょうね。
僕らは自己流だから、
なかなか勘どころをすばやくあれしてっていうわけに
いかないもんですから、そんなにまだなってないですね。
多少はよくなってます、我流でもよくなってますけど。
糸井 でも、よく持ってきましたね、
ここままで、吉本さんもねぇ。
吉本 そうですね。
まだ年相応にはならいから
もう少しやろうと思うことと、
それからまだ、ちょっとわかんないところ、
わけがわかんないっていうのはおかしいですけど、
自分でやりながら納得してないところがあるのでね。
きっとそれが納得するころには、
もう少しうまくいくだろうとは思ってるんですけどね。
今、まだちょっとわからないなあとか、
納得しないなあっていうところがありますね。
わかるっていうことと、
できるようになることのつながりって、
すっごく大きいですよね。
吉本 大きいんでしょうね。
それはあれのときも感じたんです。
要するに、僕が行ってた気効じゃないんですけど、
キリスト教のあれなんですけど、 十字式
糸井 十字式、はいはい。
吉本 十字式のときも感じて。
つまり、その(施療する)人が
これでいいっていうふうに思っていると、
もうそこに何回行ってもそこら辺で停滞して。
そのときはいいんだけど、
すぐまた二、三日たつとだめになっちゃう。
もとに近いところまで戻っちゃうみたいなね。
その人がいいと思ってるかどうかっていうことが、
非常に重要なんだなと思いましたね。
やっぱりうまい人っていうのは、
いいとも悪いとも言わないでやってるんですけど、
何も言わないで。
そうじゃない人は、もうこれでいいはずだっていうか。
糸井 暗示をかける。
吉本 「はずだ」っていう感じで、
感じを出すわけですよ。
何かそうなってくると止まりかなっていう。
もうそれ以上はよくなんないかなっていう感じに、
こっちがなりますね。それは不思議ですね。
向こうが底知れないっていうか、底知れないと、
まだこっちも何となくまだやれるぞみたいな・・・
なるんだけど。
何かあれ?っていうような、
これでいいはずですけどねみたいなことだと、
その場はいいんですけど、
また帰って二、三日たつと
戻っちゃうみたいになっちゃうんで。
糸井 相手の説明の範囲内では困るんですよね。
吉本 困るんですよ。
一般論ですからね、一般的にこうで、
このくらいで大丈夫でしょうとかっていう。
足腰痛い人はこのくらいこうやったら
大丈夫なはずだっていう、
一般論でいうとそうなんでしょうけど、何か、
僕らみたいな、えれぇいろんなのが
相乗作用であるようなのは、
なかなかそれじゃああれですよね。
それで少し休んで自分で始めようなんていって
自分で始めて。
これも初めは痛えところとかなんとか、そこだけ、
そこを揉んだり押さえたり、
こうして曲げたりとかってやってたけど、
だんだん要領がわかってきて。
足のここいら辺が痛えときには
ここいら辺を押すのかなとかね。
ここら辺とお尻のここいら辺の骨とは連動してるなとかね。
そういうのがだんだん自分でわかってきて。
糸井 それは、いわゆる理解とは違って、
「わかる」なんですね。
吉本 実感的にちゃんと、
ああ、なるほどとかって、わかってきて。
今、やっぱり懸命にやってますから、
朝起きたとき、起き抜けと、
それから、夜寝るときっていうのは
大体一時間ぐらいしてるんですよね。
糸井 そういうことについては、吉本さん、
全然ものぐさじゃないですね。
吉本 いや、初めはものぐさだったんだけどさ。
糸井 おもしろくなってきたの。
吉本 いやいや、おもしろいかなあ。
っていうよりもね、まじめになってきたっていうか
本気になってきたっていうか、
これはいかんという感じになってきたんですね。
これはこのままではちょっとたまらんぜ
っていう感じになってきて。
つまり、今の状態でいうと、眼があんまり、
活字を読むの不自由だっていうしさ、
足腰は痛えって。
これじゃ一番肝心の「どっか行って何か見て」とか、
「何か見るためにどっか行って」とかっていうのが
一番だめじゃないかっていうようになってますでしょう今。
だから、これ、どっちかは
もう少し何とかなんなきゃだめだっていうふうに思って、
少し本気になってやりだしたですね。
そしたら、徐々にですけどね、
徐々にわかってきたっていう感じですね。
それから、何ていったらいいんだ、
縦の筋がわかってきたっていうのはおかしいけど、
つまり、親指の先っていうのは、縦系で行くとどこと・・。
糸井 つながっているかですね。
吉本 そういうようなことは少し。
糸井 本に書いてないんですよね。
吉本 わかってきたかなっていう感じがするんですね。
でも、わかんないこともあるんです。
糸井 その日、そのタイミングで
つながり方って少しづつ違うんですよね。
吉本 違うんです。そうそう。
糸井 で、動いてくるんですよね。
吉本 そうそうそう、その通りですね。動いてきて。
だから、いつでも同じとこが痛いかっていうと
そんなことはないんでね。
腰が痛えっていうときも、やっぱり多少づつ
違うところが痛かったりっていう。
足が痛いっていうときもそうですけどね。
そうなんですけどね。
だから、その都度なんですけど、
根底的に言うとここだっていうのは
何となくわかった気はしてんですけどね。
糸井 意外におもしろい仕事でもあるんですね。
吉本 そうそうそう。
やっぱり何ていうんだろう、
日進月歩っていうのはおかしいですけど、毎日やっぱり。
糸井 成果があらわれる。
吉本 あらわれるしね、
毎日考えどころがちょっと違ってきてっていう、
そういうふうには来てますけど。
糸井 小さな挫折もあるし。
吉本 そうそうそう。
いくらやってもこれはだめだっていうあれに
なったかと思うと、急に、
あっ、わかったわかったいうふうになって。
ですから、今までやってなかったんだけど
ほんとはここをやればいいんだっていうので、
痛えもんだから無意識のうちに
よけてたとかいうところをやってみたら、
おやっていう感じになって、
これは有効だぜ、みたいのがわかったとか。
そんなことがあれで、
自分自身もやっぱり
止まったら終わりだろうなと思いますね。
止まったところできっと終わるだろうなと思うんだけど、
今のところわかんないなあっていうことが残ってて、
それから、また有効だなっていうのがあって。
それだから、まだちょっとだめだなっていうふうには
あるんですね。
 それだけどね、ちょっとそう言うと、
おもしろいことには、そうやって、
僕のは気功師が言う、
専門家が言うあれと違うんでしょうけれども、
両手で揉んだりさすったりとか、
こうやってかれこれ半年ぐらいになってるでしょう、
まともっていうか本気になってから。
そうすると、要するに例えば、
足の裏のところとか、
踝の下のほうが、
何ていうか冷たくなっちゃったっていうときに、
そこじゃなくて、例えば少し上のところで、
こういうところで両手でこういうふうにやってもちゃんと。
糸井 つながる。
吉本 熱がいくっていう、
そういうのはなれてきましたよ。
だから、十字式の人もきっと
この面でもっと訓練したんだろうなと思うんですね。
訓練して遂にできるようになった。
糸井 明らかに、でも、才能のある人とない人が。

 

吉本 あるんでしょうね。
糸井 センスがあるんでしょうね、きっと。
吉本 あるんでしょうね。
素質がある人とそうじゃない人と、きっといるんだろうな。
糸井 あと、やっぱりさっきも言ったように、
言葉でフィックスしようとした瞬間から
その腕は止まるんですよね。
吉本 止まる。そうでしょうね。
何となくそういう気がしますね。
糸井 気がしますね。
(第3回につづく)

1999-01-01-FRI

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