糸井 |
あの、ちょうど小学校の運動会のときに、
組体操やるじゃないですか。
で、一人どっかの人が崩れるとタタタタと崩れますよね。
で、弱いやつ一人いるときには、周りがかばいますよね。
で、かばう力のほうが強ければ、
弱いやつがいても大丈夫なんですよ。
ああいうつながり方を人間の体がしてるっていうふうに、
僕はイメージしたことがあって。
だから、小指の先にけがしたとしても、
それが迷惑をかけてるというか、
影響を及ぼしてるどっかがあって、
で、どっかが踏ん張ることで体全体をキープするんだから、
踏ん張ってるやつのほうをなだめれば、
小指の先の問題はもう少しいいほうに
解決していくんだっていうような。 |
吉本 |
そうでしょうね、そうですよね、きっと。 |
糸井 |
今はやりの生態系じゃないですけれども、
つながりの中で強いところを、逆に、
「おまえのおかげだ、ご苦労さんだったね」みたいな、
指圧だとかマッサージだとかがあるんじゃないかな。
吉本さんの話を聞いてると、ほんとに、
前に僕が、そういうことにすごく凝ってた時期があって、
そん時と同じなんですよね。 |
吉本 |
そういうのに凝ってた……。
今凝ってんですね、僕は。(笑) |
糸井 |
おもしろいですね。 |
吉本 |
いや、とにかく進歩する感じがしますからね。
何となくおもしろいですね、興味深いですね。
だから、やっぱりああいう気功師とか
ああいうのの専門家っていうのは、
きっとそれにずっとのめってって、
もっと習練を積んだんだろうなと思いますね。
何か、あっ、ここまで信じていいのかな
ということもありますけど、
たしか二、三日前、
きのうかおとといぐらい、
テレビ見てたらやってたんですよ。
それは、日本人の気功師の人がいて、
(気功の)大家がいて、そいでその人がやると、
そうすると何かオーストラリアの女の人とか男の人とか
三、四人、こういうふうに並んでて、
して、その人がやるんですよ。
そうするとこっちのほうが、こう体を動かしたり、
いや、ここのところはこっちのほうが
何となく重くなってきたとかね、そう言ってるんですよ。
そんなに遠隔操作っていうのが効くかどうかって、
何となくちょっとほんとかなって
疑問を生じるところがありますけどね。
そのスタジオのところでメンバーのあれを、
その気功師が何かしてくと、
そうするとその人たちが体を動かしたり、
手足をこう動かしだしてね。
そして、横になっちゃったりっていうのは・・・
その場のは何となく信じられる気がしましたけどね。
ああ、そうか、そのくらいのことは
気功やればできるんじゃないのかなって、訓練すればね。
そういう感じがしましたけど。 |
糸井 |
暗示っていうのと違うんですよね。 |
吉本 |
違いますよね。 |
糸井 |
暗示って、一回意識を経過しますよ。 |
|
吉本 |
そうですね、暗示じゃないですね。
だから、治癒能力には違いないでしょうけど、
要するに普通の人の持ってるあれの、
非常に強大な形でそれを持つように
訓練してできるようになったみたいなことのように
思いますけどね。
それこそ電気大学の先生が出てきて、
結局こういうのをあれしてみると、
要するに熱電気っていいますか、
熱に近い電気的なあれだっていうふうに、
科学的にっていうか、電気的に計測したりすると
そういうふうに思えますねって言ってましたね。
ただの熱じゃなくて、ただの電気でもないんだけど、
とにかく熱か電気に変わったとか、
相互変換したとかいうような、
そういう感じの、要するにエネルギーだっていうふうに
なりますねとか、そういうことを言ってましたね、
解説してましたね。
だけど、それがオーストラリアまで届くかっていうと、
そこまでは、自分がそう実感しない限りは
どうも信じられないなってとこありますけどね。 |
糸井 |
吉本さん、もともと東工大の人だから、
そういうのって素直には入っていけないタイプ
だったはずですよね。 |
吉本 |
そうです、そうです。 |
糸井 |
僕は逆に、信じたいんだけども、
何度もだまされたんで、
(笑)違うなと思ったりしましたけど。
でも、どうしても謎になる
ある「島」が残っちゃうっていう。
これは、「まず、ある」っていうことから
見たほうがいい部分っていうのがどうしても残りますね。
さっきのつながりの中に、
じかには会ってないんだけどもつながってるもの、
というイメージが。
例えばレミングの集団自殺とかありますね。 |
吉本 |
あります、あります。 |
糸井 |
あれは個体としては全部別のレミングなんで、
まあ自我があるわけじゃないのはよくわかるけれども、
あるいは桜前線がずーっと北上していく、
これは日照時間によってホルモンが作用するとか、
いろんな説明できることもあるけれども。
そのつながっている感じっていうのが、
何か探りようがないんでそのまんまになっちゃったけど、
まだ残っておりましたみたいなことがね。
そこは知りたいですね。 |
吉本 |
知りたいですね。そこはほんとに。
つまり、普通いう意味の科学的っていうので、
いや、それ違うよって思えるんですけど。
アメリカの科学者の書いた啓蒙書を読んでたらね、
なぜか知らないけど日本のことが出てくるんですよ。
日本では気功師みたいのがいて、
さわらないで痛いとこが治っちゃう
というようなことがあったりね。
何かいわゆる神秘的なことで、
手足をひゅっとこういうふうにあれしてただけで
何か立ち上がっちゃったとかね。
そういうことっていうのはあるっていうけど、
そんなものは全然。 |
糸井 |
ないですよ、と。 |
吉本 |
ないって言ってんですよ。
そうすると、ないとまで言いきられると、
それちょっと科学的じゃないよという気がしますよね。
やっぱり、そう簡単に決めてもらっちゃ困る。
やっぱり科学的っていうなら、
ちゃんとあれして決めてもらわないと困ります
という感じになりますね。
だから、そういう意味で科学的って言ってるやつがさ、
十九世紀か二十世紀の初めでさ、
小学校の理科の実験みたいに、
こっちから酸素をあれして、
こっちから水素を吹き出したら水ができたっていう、
そういうのならそれはいいけどね。
だけど、今みたいにめんどくさいことが絡み合ってきたら、
その科学的じゃ、ちょっと説明つかない
ということがあるんじゃないのかと思うから。
あんまりそういうふうに言われると、
それ、科学的ってちょっと
違うんじゃねえかというふうになっちゃいますね。
思いますね。
怪しいなというふうに思いますね。 |
糸井 |
基本的に同一条件下で再現性があるというふうに
考えると、あったりするわけですよ、その神秘なものが。 |
吉本 |
しますからね、しますからね。
ほんとにそうですよね。 |
糸井 |
そうしたら、説明する理論が追いついてない
と思う考え方を、当然保留してもいいですもんね。 |
吉本 |
起こってくるわけですよね。
だから、あんまり、これで科学的っていうのは
ちょっとおかしいんじゃないのかねっていう、
それでまた少し、僕はそんなことを考え合わせて、
自分の今のあれも考え合わせて。
前、疑いをもってなかったことってあるんですよね。
それは、ロシア・マルクス主義の元祖だけど、
レーニンが『唯物論と経験批判論』の中で、
要するに唯物論とは何かっていったら、
あの人はいろんなことを言ってるんだけど、
結局何を言ってるかっていったら、
人間よりも、もっと細かく言えば、
人間の、判断する脳よりも、
先に宇宙はあったんだということを証認するのが
唯物論だって言ってるんですよ。 |
糸井 |
それ、かっこいいですね。 |
吉本 |
かっこいいです。
それで、そうするとね、
僕は前はそれでいいじゃねえかって、
ただ、要するにそれは唯物論っていうんじゃなくて、
みんなだれだってそう思っているんじゃないかって
思ったよね。(笑) |
(第4回につづく) |